Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


能天気だったあの頃の思ひ出(ユーロ備忘録)
2009年10月27日 23:45

 なんだ! 硬派な走り屋を気取っているのかと思いきや、実はみんなダンスソング結構好きなのか!(爆)

 という訳で、タイムリーな話題で、『アイドル歌手・長山洋子 16年ぶり復活!』という情報が入ってきたので、恥も外聞もなく、80年代ユーロビートでかますぜベイベー!(全部マジメに聴くとえらい時間がかかるので、最初の1分くらいを楽しんでください。つーか、俺自身最後まで聴いてねーw)



 ヴィーナスゆうたら、我々の世代はショッキングブルーじゃなくバナナラマっしょ。(↑はプチリミックス入ってるバージョンです)



 これも結構好きでした。つーか大好きでした。(照笑)



 日本ではバベ(BaBe:本当の読みはベイブです)がカバーしてました。



 当時、六本木で唄ってるとこをスカウトされたという石井明美がカバーしてた曲だけど、フィンツィ・コンティーニの方が好きでした。




 『男女7人』つながりで翌年に森川由加里がカバーした曲。でもって、やっぱこっちもカバーガールズの方がいいな。(笑) つーか、非国民なので日本人が心底嫌いです。(笑)



 「こいつホントは邦楽好きなんじゃねーのか?」と思われそうな位、日本人がカバーした曲のオンパレードっす。(笑)

 ところで、♪ダンシングヒーロー♪(笑)は、荻野目ちゃんがカバーして唄ってましたが、荻野目ちゃんは、私が中学1年生位の時に、小畑和美(ミミ)、荻野目洋子(ルミ)、大森絹子(クミ)の3人組の『ミルク』というグループの出身で、聞くとこによると、大森絹子がツッパリ(笑)になったのをキッカケに事務所が荻野目ちゃんを売り出したという話です。

 ちなみに、大森絹子は私の同級生でした。(爆)



 「まただよ」みたいな。(笑)



 そろそろカバーされた曲はやめて、ただ単にノリがいいだけの曲ということで、サマンサ・フォックス。



 サマンサ・ジルスっつう人もいました。やっぱ♪ミュージックがすべて♪っすよ。(笑) もう強烈にミーちゃんハーちゃん。(爆)

 でも、たしか19歳当時、4輪のチューニングショップでボーリング工やってる時に、朝、この曲を聴いて元気を出してから職場に向かっていた記憶があります。安かったな〜、当時のオレ。(自爆)



 ステイシーQも外せないっすね。でも実はアメリカ産ユーロビートっすよ。



 どんどん脱線してきて80年代後半はコイツの独壇場となった。(笑) ドロ臭いバンドマンとかゴメンね、雑食で。(笑)

 まーでも、当時でも今でも、いつ聴いてもふざけたヤローという印象でやんす。(爆)



 なんか、渋谷の新しく出来たH&Mの隣のサウナとか入ってるビルにも、昔はディスコが入ってた気がしたけど、なんかそんな安っぽいディスコを思い出します。(笑)

 そう言えば、最近タイーホされちゃった同級生とかは、サーファーだったので渋谷のラ・スカラ(サーファーが行くディスコ)とかに行ってて、俺も16歳くらいの時に誘われたことあったけど、行かずに縁切れてて良かった。(笑)



 こんなんで盛り上がってましたよ、当時は。えらい安い人間でしたね、80年代バブルな人達。(笑)

 でも、なぜか、カラカウア通りという通りをはさんで六本木と江の島が合体しているワイハにあったディスコとかも思い出しますよ。(爆)

 あーそんでもってそう言えば、バブル崩壊後に、口説いてたチャンネーの前で「ワイハ」を連発してべしゃりかましてたら、「今どき“ワイハ”はないでしょ」と、“ワイハ”という言葉でフラれたことがありましたよ。(爆)



 能天気ダンスミュージック万歳!(核爆)

 世の中全部に悩みが無かったね、あの頃。(笑) 今は悩みしかありませんよ。(きーなー)

 という訳で無理矢理オチとしては、イージーマネーユーフォリア(あぶく銭陶酔症)を多産したバブル時代と、ネットウヨとかの精神障害者を多産した未曾有の不景気の両方を知っている我々の世代は、人間は現金だということを肌で理解していますよ。(笑)




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