Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


ホンダRS250RW(85)ソース不明秘話
(進入でアクセルを開けて、立ち上がりでアクセルを閉じる)
2009年6月23日 9:29

ホンダNSR500、2ストロークV4の咆哮。(チヒロさんのエントリ)

 少し前にチヒロさんが↑のエントリを上げた時、私も便乗して、私は500ではなく250をネタにしたエントリを上げようと思っていたのだが、2年ぶりにバイクに乗って、しかもそれがよりにもよって生まれて初めてのモトクロス初体験で、全身筋肉痛ですっかり体調をくずしてしまったので、『アーブの手紙』を書く気力も失せていたのだが、だいぶ元気が戻ってきたので、遅ればせながら、私も85年当時を懐かしむエントリを上げるとしよう。

 さて、私は当時のバイク乗りにありがちなノリにて、83年のケニー(親)とスペ公のバトルがキッカケでサーキットを走り始めた人間だが、スペ公は、83年に500のチャンピオンを取った後、84年は、ホンダが新たに投入したNSR500が、なんと、燃料タンクをエンジンの下側に持ってきて、チャンバーがエンジンの上側を通るというデタラメ斬新な設計のマシンだったので、ガソリンの残量の変化によるマシン特性の変化等に馴染めなかったことや、あるいは、カーボンで出来たNSコムスターホイールが割れて事故るとか、色々と不運が重なって、スペ公はこの年チャンピオンを逃してしまった。

 しかし、85年には、今度は万全の体制で望むと共に、更にホンダは、スペ公に他のライダーとは差別化した、RS250RW(クールな名前だ)を渡して、500と250のWチャンプを取らせようと画策した。

 そして、このスペ公が乗ったRS250RWは、他の“フツーの”RS250とは当然別モノだったのは前述の通りだが、それを証明するかのように、ある時、スペ公が乗るRS250RWのミッションが壊れて、6速が使えなくなったという時に、6速で走る他のRS250のライダーよりも、5速で走るスペ公の方が速かったということがあり、いかにスペ公の乗るRS250RWがスペシャルなものだったのかが、この逸話でもよく分かる。

★ソース不明秘話
 以下に話す話は、ソース不明で、私に耳打ちしてくれた当時のホンダ関係者も、現在は連絡も取れないので、ぶっちゃけフィクション(作り話)として捉えて頂いて構わない。

 さて、サブタイトルの「進入でアクセルを開けて、立ち上がりでアクセルを閉じる」だが、85年当時から少し経った後で、私はとある知り合いのホンダ関係者から、「山口君、進入でアクセルを開けて、立ち上がりでアクセルを閉じるってテクニックがあるの知ってる?」と聞かれて、当然そんなテクなど知らないので聞いてみると、どうやら、85年当時のスペ公が使っていたテクニックらしく、私は当時ビクター・JVCから発売されていた、85年のGP250のビデオを、冗談ではなく、本当に朝昼晩と繰り返し繰り返し穴があく程観ていたのだが、例えば低速コーナーの進入で、他のフツーのライダー達は…、

パ〜〜〜ン
パンパンパン
プァ〜
ブレーキまで
ブレーキング中
のシフトダウン
立ち上がり

 ↑のように、よく聞かれる2スト車の立ち上がりの音がしているのだが、スペ公の音は違っていて…、

パ〜〜〜ン
パンパンパン
パーッ! ウ〜ア
ブレーキまで
ブレーキング中
のシフトダウン
立ち上がり

 ↑のように、シフトダウンの後で、「パーッ!」という、いきなりエンジン音が上がる音がしているのが分かるのである。

 つまり、私にこのテクの話を耳打ちしてくれた方のお話だと、通常、コーナーリング中は進入で閉じたアクセルのおかげで、回転数は下がってしまい、立ち上がりでアクセルを開けることで、だんだんとパワーバンドに入れて立ち上がっていくのが普通の走法なのだが、スペ公は、進入でパワーバンドの先のオーバーレプ領域に回転数を入れてしまい、立ち上がりでアクセルを閉じて回転数を“下げていく”ことでパワーバンドに入れるという走らせ方をしていて、そのテクニックに耐えられるよう、オーバーレブに回転をブチ込むテストを繰り返して開発したのが、かの有名なNSシリンダーなのだとのことだった。(繰り返しますが、あくまでもソース不明なのでウソの可能性も高いです)

 ウソかホントか私自身結局分からずじまいなので申し訳ないが、映像を繰り返し穴があく程観ていた私には、「進入でアクセルを開けて、立ち上がりでアクセルを閉じる」というのはいささか大袈裟な表現だったとしても、コーナーリング中にスペ公だけ不自然にエンジン音がカン高くなって、立ち上がりではむしろ回転数が下がるかのような音がしているので、ある意味、小排気量の2ストを操るように、単に半クラで高回転をキープしている時にカン高くて、その後クラッチをつないで回転が落ちる音とカン違いしている可能性もあると、これを読む多くの読者も考えているかと思うが、他のマシンよりもハイパワーなマシンに乗っているというのに、他のライダー達は半クラで高回転をキープしている様子もない音で走らせている同一コーナーにて、果たして、パワーバンドの手前からアクセルを開けることでパワーバンドに入れていく常識的な走らせ方に対して、オーバーレブ領域から“回転数を戻して”パワーバンドに入れるなどというテクを、本当にスペ公は使っていたのか私は今でも真相を知りたいのだが、もう時効だと思うので、是非、スペ公ご本人にカミングアウトしてもらわないと、安心して死ねないと思う今日この頃である。(笑)




★追記(ヤマハトリビア)
 ホンダびいきのこの僕が、ヤマハのことを取り上げるなんて、特別なことなんだからねっ!(チヒロさんのエントリのオマージュですw)

 さて、85年のスペ公とRS250RWは、とてつもなく速かったので、パラ2のTZ250を使っていたヤマハワークスは、シーズン途中にも関わらず、アルミデルタボックスフレームに2軸Vツインエンジンを積んだYZR250を投入し、カルロス・ラバード(スゲータレ角のセパハン使ってたライダー。懐かしい…)がこれを駆っていたが、このYZR250は、なんと2気筒同爆のエンジンで、その始動性の悪さから、86年の開幕戦では、かの有名な平忠彦選手が押しがけでエンジンがかからず後続車に追突されて重傷をおい、それがキッカケで、翌年の87年からはGPはクラッチスタートになった。

 つまり、ヤマハというメーカーは、始動性が悪いエンジンを作り続けることで、GPライダーを“押しがけ”という懐かしい根性論的な儀式から解放した素晴らしいメーカーなので、この点だけは、三国一(さんごくいち)のヤマハ嫌いの私でも、ヤマハを称賛しない訳にはいかないのだ。(核爆)

 とにもかくにも、80年代…、嗚呼、何もかも皆懐かしい…。(佐渡酒造敬礼ぴゃーと2!w)




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