Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


イスで思い出すこと(3)
2009年5月23日 17:12

 仮に今日自分が死ぬと仮定して、私のこれまでの人生を振り返り考察すると、私の特筆すべき最も輝かしい功績とは、生まれてから1度もトヨタ車を買ったことがないということである。
 逆に、私のこれまでの人生を振り返り、私の最も唾棄すべき人生の最大の汚点は、キヤノンのプリンターを使用していたことである。

 そう、我が国における巨大極悪企業の代名詞であるトヨタとキヤノンは、トヨタの奥田碩(おくだひろし)とキヤノンの御手洗冨士夫(みたらいふじお)という2人のマキャベリアンによって、多くの労働者を奴隷のように使ってその悪名を世にとどろかせた訳だが、私が思うに、日本の経営者に、人を人と思わずに使い、労働力を搾取しても平気のへーさというマキャベリアンが多いのは、その一因として敗戦が強く影響しているのではないかと考えている。

 つまり、義務教育を受ける期間が、ちょうど戦時中や戦後と重なった世代は、基礎学力が低く、道徳的な教育もままならないまま、戦後の焼け野原では、他人を蹴落としてでも這い上がるという思考を持った人間が、悲しいかな成功者になるケースが高く、こうした時代に良心を発揮したタイプの人はバカを見るということも多かったのではないかと私は想像している。

 これを読むサラリーマンの皆さんも、私と同世代より若い人達、そう、30代から40代の方であれば、仕事を進める上で、ライバルや、あるいは気の合わない職場の同僚に対しても、結果がウィンウィンであれば、その方が良いと、感情論を抜きにして合理的に仕事を進められるというケースが多いと思われるが、50代より上、更には団塊の世代の経営者や上司だと、どう考えても会社の経営にとってマイナスだと思われるのに、単に個人のメンツなどを優先してバカげた決定を下す人がいて閉口してしまうという経験も多いことだろう。

 こうしたことも、私は敗戦の影響がネガティブに出ている結果なのではないかと常々考えている。

 つまり簡単に言えば、マキャベリアンに全体が幸せになろうという合理的な思考などなく、あるのは自尊心と虚栄心をベースにした利己主義のみである。

★ダブルスタンダード
 上記だけを読めば、あたかもマキャベリアン経営者は戦後日本の特徴かのように思ってしまう読者もいるかもしれないので、マキャベリアンは、我が国だけの問題ではなく、全世界的に広く分布しているという話をしてみよう。

 そう、今から100年前、アメリカでは様々な産業が生まれ、その後高い経済成長率を示したが、例えば当時、自動車メーカーは300近くも存在していた。しかし、その後100年が経つと、アメリカの代表的な自動車メーカーはGMとフォードの2つに絞られたが、この2つの自動車メーカーは、マキャベリアンによって経営されていた。

 日本に住む皆さんも、私を含めてそれを知ったのは、この自動車メーカーが破綻に追い込まれそうになったというニュースを通じてだったのは皮肉な成り行きだが、政府から金(中身は血税)を支援してもらう為に、CEOが自家用ジェットで訪れたというエピソードに対して、他国の出来事ながら笑ったという人も多かったことだろう。

 しかし、トヨタにしてもキヤノンにしても、あるいは世界中のマキャベリアンが経営する多くの会社にしても、なぜ多くの人達は、人格的に問題があると言うのに、どうしてこうしたマキャベリアンの後についていってしまうのだろうか?

 答は簡単で、それだけ成功した時の果実が大きいからだ。

補足:上記にて、アメリカの自動車メーカーは2つに絞られたと書いたが、クライスラーが抜けていると思った人もいることだろう。しかし、メディアがビッグスリービッグスリーと騒いでいるだけで、実際のところは、ビッグスリーなどという呼称は机上の空論である。つまり、アメリカの自動車メーカーがまだまともだった頃のシェアで見てみると、GMが59%のシェアを持ち、フォードは26%、クライスラーは13%で、丁度ダブルスコアのような関係だったからで、GMのシェアには、その他のメーカー全てを合わせても追いつかず、実質的にはアメリカの自動車メーカーは、ビッグワンという呼称の方が的を得ていると私は考えていた。まー、今となっては懐かしい話だが。(笑)

★時代の産物ではなく人格の産物
 歴史に対する無心の探索を行ってみても、マキャベリアンが経営する会社が成功した例は枚挙に暇がない。

 ここにはバイク好きが多く集まるので、分かりやすく本田宗一郎のエピソードを紹介すると、ホンダでエンジンを開発している人が、通常は、バルブのはさみ角は小さい方が優れたエンジンなので、そうしたエンジンを設計していた時、本田宗一郎がスタスタやってきて、「こんなエンジンじゃダメだ、バルブのはさみ角を広げろ!」と一喝してその場を去ってしまい、エンジニアは悩んだ末に、社長命令だから仕方がないと、バルブのはさみ角を増やしたエンジンを設計したら、本田宗一郎が、「なんでこんなエンジンを作るんだ!」と怒り出し、エンジニアが、「だってそう社長が命令したでしょう?」と言い返すと、「オマエは俺が死ねと言ったら死ぬのか!」と、自分の過ちを棚に上げてしまったという。

 こんなエピソードからも、本田宗一郎がいかに裸の王様だったのかがよく分かるが、それでも、本田宗一郎のカリスマ性によりホンダが世界有数の自動車メーカーになり、現在では2輪で世界一のシェアを獲得しているのはまぎれもない事実だ。

 つまり、マキャベリアンタイプの経営者は、他人の言うことになど耳を傾けないので、誰かを傷つけてでも厳しい決断を下さなければならない局面では、非常に重宝されるというのが冷厳な現実でもある。

 しかし、マキャベリアンタイプの経営者は、一見時代の産物のように思われるが、どの時代でも遺伝子の多様性に変わりがないように、本質的にはマキャベリアンは人格の産物なのだが、激動の時代には、こうしたタイプの経営者が会社を発展させサクセスを生むことが多いので時代の産物のように感じてしまうのであり、我が国においても、現在の大企業は、皆、敗戦後という激動の時代からのし上がってきた会社が多いので、こうしたマキャベリアンが多くなってしまったのではないかと推察される。

★保守的リーダー
 多くの人が疑問に思うように、会社がでかくなって上場すれば、「独裁者のワガママも通用しなくなるのでは?」と考えることだろう。

 実際、マキャベリアンタイプの経営者は、行動も派手だしスキャンダラスなので、こうした経営者に対する忌避感から、取締役会が、物静か、控えめ、謙虚、無口、内気、丁寧、穏やか、目立たない、飾らない、マスコミにどう書かれても信じない、という保守的な経営者を選んでしまうという会社も多い。

 そして、こうした保守的な経営者は、革新よりかはコスト削減や安定的な利益の捻出に邁進する。

 また、こうした保守的なリーダーは、同じことを繰り返せば業績が上がっていくという会社にとっては、実際効果的で経営者として向いている。

 また、例えば家族的な経営を目指すリーダーだと、常日頃から社員に声をかけ、温かい会話で職場を切り盛りしようと精を出し、休日には引っ越しの手伝いをしてくれたりもする。こうしたリーダーは、病院や幼稚園などの経営に向いていると私は思う。

 しかし、こうした家族的な経営は、外部からの攻撃をかわそうという、職場マフィアの形成につながりやすいという側面も同時に持ち合わせている。

 つまり、こうした経営を続けると、革新が必要な企業にとっては、知らず知らずの内に衰退していくという危険性も同時にはらんでいる。

★90年代後半の熱狂
 90年代後半から2000年代前半に“失われた10年”が強く叫ばれた時、こうした保守的なリーダーでは業績が回復しないというタイプの企業からは、無批判にヴィジョナリー・リーダー(企業が目指すべき理想像を明確に打ち出せる経営者)をヨイショする機運が高まった。

 私は冒頭で、日本のマキャベリアンは、団塊の世代に多いと解説したが、面白いことに、いわゆる“ITバブル”の時には、私よりも若い世代からマキャベリアンタイプの経営者が多く現れた。もちろん代表はご存じホリエモンや、今でも息をしている楽天の三木谷社長である。

 こうした新しい世代のマキャベリアンは、古い世代を尊敬してマキャベリアニズムを取り入れているということは全然なく、やはりこれもまた、激動の時代にマッチした形で、遺伝子の多様性の1つとして出てきた経営者だと私は分析している。

 しかし、この“時代の寵児”達は、製造業などで這い上がってきた戦後派と違い、虚業も多かったのと、ストレートに犯罪に手を染めたりしたことで、多くの経営者はその後失速してしまった。

★トヨタ・キヤノンと正反対なスタンスの京セラ
 マキャベリアンが激動の時代において、人を傷つけることを覚悟の上で厳しい決断が出来る人間として企業の舵取りをすることで、うまくそれが成功すると、たしかに売上が増大し1つのサクセスとなるので、そうした結果に期待して多くの人達が人間性に欠けた経営者に追従してしまうのも、これまでの歴史では1つの事実として認めるしかないが、その根底には、金さえ儲かればそれで良いという市場原理主義が見え隠れしてしまう。

 ちなみに、先日テレビにて、京セラの稲森会長のインタビューを見たが、稲森会長は、今回の金融危機にて、金融の人達が、とにかく金が儲かれば良いという金の亡者になったことに対して批判的で、「足るを知る」ということの重要さを語っていた。また、京セラでは、従業員を大事にする意味で、トヨタやキヤノンのような労働者の使い捨てにも否定的で、京セラはこれまでに派遣社員は1度も雇ったことがないという。もちろん、世の中は広いので京セラに対する批判もあるのだが、稲森会長の言葉を話半分で聞いたとしても、言葉自体はエクセレントである。

 ちなみに、稲森会長は、会話の途中で、製造業に携わる人達が使うジャーゴン(業界内の隠喩)である、“オシャカ”(不良品の意)という言葉を使っていたので、私は、「ああ、この人は製造業の現場を知っている人なんだな〜」と、個人的には多少親近感も覚えた。

★ドイツとの違い
 話コロッと変わって、私はドイツから色々な商品を輸入しているインポーターだが、ドイツの人達は、サービス残業どころか、“残業そのもの”を絶対にせず、1年間に140日以上休み、会社の為に人生を捧げるなどという思考は全くない人達で、日本人の通常のサービス精神からは大きく逸脱しているので、ビジネス的には超やりにくいが、こうした異国の人達と付き合っていると、「それはそれでアリなのかな?」と思ってしまうこともよくある。そう、日本人は働きすぎ、あんど、会社に忠誠を尽くし過ぎである。

 しかし、この忠誠の“尽くし過ぎ”という言葉には語弊もあるだろう。つまり、朝から晩まで酷使されている労働者は、会社に対する忠誠など意識しておらず、そもそも何もものが考えられなくなるくらい酷使されていて、ある意味、経営者はそれを狙っているというフシすらある。

★終身雇用制度の現実
 一般論として、日本人が会社に忠誠心を持つ素晴らしいシステムとされているのは、“終身雇用制”だが、定年まで安定して雇用を確保してもらい、収入も年功序列で増加していくことで、将来不安もなく、安心して働くことで、長期的な展望に立って愛社精神を育むことが出来るというのが、かなり美化した終身雇用に対する評価だが、実際には、途中で転職すると、年収が10%とか20%とかのレベルでなく、半減してしまうという現実から、この“転職すると損”という社会的背景を会社側が暗黙の脅しにして、少々無茶な要求でも飲んでしまう社員達を会社側がいいように扱ってきたというのが、我が国の終身雇用制度の暗部だったとも言える。

 また、例えば育児休暇のシステムが有ったとしても、実際に利用できる空気が会社になく、女性は出産すると退職し、その後は、例え職場復帰しても、以前の収入は期待出来ないという現況から、女性の労働力の活用が進まず、少子化が突き進み、国民の人数が減ることでストレートに国力が減少しているという側面もある。

 そう考えると、育児休暇や、女性の出産に対する社会的サポート、更には会社側のサポートは、将来に対する先行投資なのだが、会社側は、四半期の業績、つまり、目先以上の先が見えない視野狭窄に陥っているので、20年も30年も先のことを考えて育児休暇を与えるなどの少子化対策をしようとは考えない。その頃になれば、自社製品を買ってくれる人や雇う人間がいなくなると分かってはいても。

 つまり、こうしたことは、市場原理主義的に“何もせずに放っておく”訳にはいかず、労働基準法と同じく、社会主義的に政府が積極的にコントロールする必要性がある訳だが、もちろん、トヨタやキヤノンなど経団連が政治とメディアを金で牛耳っている為に、こうした考え方に対して我が国の政策立案者は消極的なので、早晩、この国は亡国へと向かうことだろう。否、有権者の政治的無関心により、すでに向かっていると言える。

 また、国民は政治には無関心だが、皮肉なことにトヨタやキヤノンの製品に対しては関心が高いのだが、トヨタやキヤノンがこうした人達に商品を売ることで儲け、儲けた金で自民党に政治献金し、メディアには広告料という名の口止め料を支払うことで、世の中は益々大企業の短期の業績に有利な方向に進み、大企業は更に儲けた金で献金と口止めを繰り返す、と、亡国へと向かう負のスパイラルがなかなか断ち切れないのが我が国の現状である。

 しかし、負のスパイラルを断ち切るのは意外に簡単で、大企業から政治献金を受けたり、それに積極的な自民党以外の党の政治家に選挙で投票し、インターネットで巻き起こった不買運動のように、トヨタやキヤノンなどの製品を買わないようにして大企業に社会的制裁を与えることで、政治家と大企業を改心させることができるのだが、言うはやすしきよしで、大企業と政治家のメディアコントロールによる国民に対する愚民化政策が、未だ根本的な改革にブレーキをかけている。(余談だが、CMが入らないNHKも、政府与党に予算を握られているので、民放程でないにしても、内容は偏向しているとみて良い)

 つまり、日本の経済成長の要因には、確かにマキャベリアンの功績も多かったのだが、その一方で、我が国は毎日100人もの人が自殺するという暗部も同時に抱え込んでしまっている。

 従って、人類がもう一段進歩する為には、1人1人が“足るを知り”、全員が幸せになれるよう達観視出来る優れた人格を有し、なおかつ改革の為の決断力の有る者がリーダーになるべきだと思われるが、それが机上の空論ではなく、それを本当に実現しているのが、デンマークなどのスカンジナビアモデルなので、もちろんマルクスのような頭脳を私は有していないが、単にシンプルなリアリスト(現実主義者)として、私は民主社会主義を支持している。

 ちなみに、デンマークでは国政選挙の投票率が80%を割ったことがなく、2007年の選挙前の政党代表者の討論番組の視聴率は、74%だった。

★エピローグ
 しかし、もしあなたが刹那主義者であれば、このまま市場原理主義を野放しにすることで、仮に将来的に日本人が絶滅したとしても、それは増え続ける世界人口のたったの3%でしかないと思うかもしれないし、もっと言って、仮に日本が沈没したとしても、それは地球の陸地面積のたったの0.2%なので、こんなちっぽけな極東の島国がどうなろうと、大した問題ではないと思うかもしれない。

 そう考えると、トヨタやキヤノン、あるいは、小泉・竹中&石原などを批判する私の行動は、不遇な人間の見栄のようにも感じてしまう。

 また、何を訴えても、社会に対する影響力など微々たるものなので、インターネットでの私のエントリなど、焼け石に水という側面もあり、そう考えると、暗愚で孤独な自分自身に対し、呆然とした喪失感を味わうこともある。

 つまり、私は結局のところ、批判家精神を持った隠者的思想家でいる方が良いのか? 偽善や欺瞞に満ちたものでも、何かしらの行動を取った方がよいのか? そんな自己の心の葛藤の毎日なのである。

 そして、ボランティア活動には偽善がつきものだという自覚の元、真のジャーナリズム、つまり、知り、考え、伝える事が私にとってのボランティアだと考えるに至っているので、今後ともヨロシク。

 それはそうと、“イス”から話をふくらませ過ぎたよ。(笑)




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