Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


地震 2008年5月27日 9:11

★日本の現状
 我々愚民は、「地震なんて起きる訳がない、起きても政府がなんとかしてくれるだろう」と言った、麻薬を吸った後のような甘い期待を抱いている。このような楽観主義を生み出す元凶は、人間の基本的欠陥である、無知無関心であろう。

 まず、誰も問題提起しないが、日本には地震災害に対して責任を持つ単一の機関がない。消防もレスキューも自衛隊も、役人のGOサインが出るまで動けないが、このGOサインを責任を持って発動する機関がないので、神戸震災では、瓦礫の下で生きながらにして焼け死ぬ人が大勢発生するという誠におぞましい事態が実際に起こっている。
 むしろ民間の中から、個人の善意のみで被災地の援助に当たった人は、破壊され、救急車も通れなかったと発表された道路を、はるか彼方から徒歩で現地に駆けつけ、実際的で善意に満ちた救助活動を行っていた。地震災害に対して事前に備える事を放棄し、他人依存や権利意識により、頭のイカれた連中(政府)に甘い期待を寄せるのは愚の骨頂で、災害発生時には、極めてシンプルな人間の良心を発動するべきである。

 我が国では、地震予知研究に対しても、非生産的であるだけでなく、様々な組織が災害に対して責任を分担するというよりかは、むしろ予算確保の方に興味を持っている。
 又、地震観測、避難計画と言った地震の問題の中枢を成す部分に対する予算の大幅な不足、問題に対する一般的無関心も大きい。そして、直下型地震予知の為の予算不足、東海地震観測網で使用される機器の老化と機能不全、避難場所の不備、建築業界の不正、早急な東京湾開発、政治家と官僚の問題に対する無関心、そして、地震の脅威に対抗する為のまとまった戦略は存在せず、前述のように破局的な災害の防止に責任を負う単一の組織も存在しない。尊敬すべき科学者や学者の意見は無視されている。

 これが愚民が甘い期待を寄せている我が国の現状である。問題が多い割には何1つ手は打たれていないと言った風に感じられる。

★地震予知研究
 東京に地震が襲う事に半信半疑の人は多い。しかし、悲しいかな大規模地震は単なる可能性や確率の問題ではなく、胡散臭い感じのするオカルト的予言の類でもなく、極めて客観的論理的に年々観測されている科学的見地に則った、確実に起こりうる出来事なのである。
 地震がどこを襲うのか? 地震学者は常に分かっている。その地震が正に“いつ”発生するのか? それを知ろうと彼らは時間と闘っているのである。

 東京は日本列島の中心にある一番大きな平野、つまり関東平野に有り、首都を置くには最適な場所に有る。
 ところが過去に集中的に地震が発生した北西海岸沿いの線をたどっていくと、その線は内陸部で折れ曲がっているが、そのちょうど内陸部に入る所に東京は有る。つまり首都を置くには最悪な場所なのである。

 かつて日本人は、地下にナマズが住んでいて、ナマズが暴れると地震が起きると信じていたようだが、最近まで日本人はこのおとぎ話のようなロジック以外に、自分達の住む島が揺れるメカニズムを知らなかったようである。ところが現在の地震予知研究は飛躍的に進歩しており、そのロジックは『プレートテクトニクス』と言う理論によって裏打ちされている。プレートテクトニクスによると、地球の地殻は12の大きなプレートと沢山の小さなプレート(くさび型マントル)で構成されている。これらのプレートは互いに衝突しながら、様々な方向へたえず動いている。この運動の結果、大変な摩擦力が蓄積され、それが地震と火山活動の原因となっている。

 東京はと言えば、この地球の地殻の中で最も弱く、最も危険な場所に位置し、東京の下町の東西わずか150kmのところでは、3つの大きなプレートがはち合わせになっている。東京は実に恐ろしい場所に位置しているのである。

 素人は東京を地震が襲うのか襲わないのか、襲うのならそれがいつなのかを短絡的に知りたがるだろう。私もその1人である。
 初めに断ると、現在の理性的な地震予知研究から言えば、東海地震(東京から名古屋までの海岸沿いを襲う大規模地震)と、東京直下型地震は、今すぐにでも起きておかしくない地震である。小田原を震源とする地震は、1633年、1703年、1782年、1853年、1923年に起きていて、それぞれ70年、79年、71年、70年の間隔があり、平均は72.5年になる。東京でいつ地震が起きるか単純に計算すると、前回の1923年の72.5年後、つまり1995年から1996年ということになるが、すでに12年も単純計算の日付をオーバーしている。

 歴史的に見て小田原地震の前に大島が噴火したという例が、過去5回の内3回有って、大島噴火後5年から19年たって小田原で地震が起こっているという。正にその噴火は1986年(今から22年前)に伊豆大島で起こっている。

 我々は地震と言うと、『大地震』が1つだけ襲うと思っている。それが都市を破壊し、再び休止期間に入ると思っている。ところが地震予知研究をする人達の予想する地震は、ただ1つの地震を意味している訳ではない。それはいくつかの地震、つまり大規模なテクトニック(構造)運動が連続して起こることを意味し、ドミノが倒れるように1つの地震がもう1つの地震を誘発するようであり、これまでの地震空白と呼ばれる空白期間後、正にこれから我が国に連続して地震は襲うようである。

 今や問題は大地震が再び有るかどうかでは無い。問題は“いつ”あるかなのである。

★政府の対応
 我が国の地震に対する研究の予算は、平成18年度で年間114億円である。御存じのように日本の防衛費はGNPの1%であり、破壊目的の兵器には4兆7000億円を使っている。
 右翼の方達は、軍事費削減を叫ぶ左翼に対しては、「他国が攻めてきた時に丸腰でどうするんだ」とよく言うが、本当に攻めてくるかどうか分からない相手には4兆7000億円使い、絶対にやってくる予定の地震に対する研究には、114億円しか使わないのが我が国の現状となっている。しかし、それでも右翼の方達は自分達こそ愛国者で、軍事費削減を叫ぶ人達を“バカサヨ”と呼んでいる。

 こんな話もある。ある災害対策局が、地上に人形を置いて、その真上のビルの3階にある窓ガラスを割ってみると言う実験を行ったことがあった、そして、実験の結果ガラスの破片は雨のように路上に降り注ぎ、人形の“皮膚”に短剣のようにズブリと突き刺さった。
 そして、衆参両院の議場の天井にあるステンドグラスも、震度5で割れ、真下にいる名誉ある議員達の上に破片の雨を降らせるのではないかという危惧が持たれている。ところが衆議院の政治家達は、ヘルメット支給の案を、「カッコ良くない」と文句をつけて拒否してしまったのである。かわりに彼らが選んだのは、ポリエチレン製の銀色の頭巾であった。もう一方の参議院の方は、防災に対する備えをギャグのレベルまで落とした。彼らはヘルメットも頭巾も拒否し、ガラスの雨には上着で完全に防御できると主張した。また、この件に関して、「参議院は衆議院から独立を堅持していたいと思っている。この件に関して両院が異なった反応を示したことで、参議院議員達は喜んでいるとの事である」と言う論評が当時の新聞に掲載された。本人達は喜んでいるのでいいのかもしれないが、参議院議員が衆議院議員に対してメンツを保つのも命がけのようだ。しかし、政治家先生が命をかけてメンツを保つのは御立派だが、国民の命は軽視して頂きたくないとも思われる。

★一極集中
 我々は、名誉欲、出世欲、権力欲、そして自尊心と虚栄心に満ちた政治家に、大規模地震の対策を含めた政治決定を委ねている。しかし、多数決、人気投票により選んだ者に政治を任せる自由民主主義が、現在の我が国の現状では虚構論理にまで堕落している。

 現在、日本の大会社の約60%以上が東京に本社を置いている。また、外資系企業の約90%、外資系銀行の約60%が東京に本社を置いている。日本でコンピューター関係の仕事をしている人の大半は東京で働いている。学生の約40%は東京で学んでいる。日本で1年間に発行される書籍その他のほぼ半分は東京大都市圏に集中している。そして、日本人の4人に1人は関東に住んでいる。

 という事は、地震が起こっていいような場所ではないのである。

 理知的な人ならば、東京、いや日本を救う為には、東京の一極集中を分散させる事が大切だと簡単に分析するだろう。
 実際には重要な政府機能を東京から移転させようという計画が無い訳ではない。しかし、どの省庁が移転するかは、“いつものような”口ゲンカがあり、壮大な移転プランは、政治的にほとんど力のない部分、“科学研究所”が移転する所まで縮小してしまった。これらの多くは現在筑波にある。
 つまり、地震研究をする学者の意見に従って東京から移転したのは、皮肉な事に地震研究する人達自身だったという訳である。やっかい者を追い払ったと言った感がしないでもない。

 エライ人達は一極集中を分散する気がないどころか、更に危険な方向へ東京を開発しようとしている。それは東京湾である。
 横浜では『みなとみらい21』という文化都市、千葉では幕張、そして東京では『レインボータウン』と、3つのウォーターフロント計画をエライ人達は実行した。
 もちろん、開発の裏には社会的福利では無く、巨大な金が絡んでいる。もしもその証拠がもっと欲しいなら、東京都のメインパートナーが誰だか見れば分かる。それは国土交通省である。かつてソロモンブラザースの増田氏は、「建設省(現国交省)と大手元請け会社はお互いに非常に良く理解し合う関係にあります」と言ったことがある。これは絶妙の“控え目な”表現である。似たような表現は新聞にもあった。「公共事業の決定に際して、納税者の利益よりも政治力が優先する例は少なからずある」
 業界、政治家、官僚の利益になるので、建設業界から多額(1社から10億円以上を受け取ることもある)の選挙資金になる献金を受けた政治家は、国交省のコネを使って自分の選挙区に贅沢な建設計画を立てさせることは不思議なことではない。むしろ、前述の東京湾の開発に使われた計画名、つまり美辞麗句が彼らに味方するのである。我々はこうして出来上がったケバケバしくハデな都市の生活に酔いしれ、政治家の悪行を黙認している。

 しかし政府はその一方で、30年以上に渡って“首都機能の分散”の議論を、果てしなく真剣に続けている。東京湾プロジェクトは、およそ目標とは矛盾しているが、ハイテクを駆使した、高価で夢に満ちたプロジェクトは、日本的問題解決法で、参加する政治家、官僚、企業はその配当にあずかることが出来る。となると、座をシラけさせる技術者や地質学者の出る幕などないのである。液状化の危険性や、大地震から逃れる為の分散化の必要性が叫ばれても、全く無視されるのがオチなのである。

 パンピーが甘い期待を寄せる政府とは、以上のような人達が運営している。くどいようだが、権利意識は持っているクセに他人に依存するのは、愚の骨頂であることが簡単に理解出来るであろう。

★対策
 虚構の都市生活にだまされ、肉体的快楽、技術的利便性、美食飽食を追い求め、責任転嫁、他人依存、他力本願の生活、被害者意識を持った都市生活者達は、天災が起こったらどうするのだろうか? 神戸地震ではこれが露呈された。レスキューや消防や自衛隊などの救助活動にあたる人達や、行政や政治家の対応に不満をぶつける人(行政の担当者を吊るし上げる人もいたようだ)、夜盗、火事場泥棒、ソーセージを1本5000円で売る人、何とも情けない事が現実に起こっている。しかし、その一方では、家族を失ってもめげずに、これからの人生に向かって前向きに生きる人、自らの危険をかえりみず他人を助けようとする人。前者と後者のこの違いはどこから生まれるのだろうか? たった1つのおにぎりや毛布に対しても、不満を言う人と感謝する人では、大きな違いがある。

 地震は避けることが出来ない。では我々はどうすれば良いのか? それは、脳天気と利己主義を捨て、汚れきった精神を浄化することなのかもしれない。
 私を含めて、これを読む都市生活者の皆さんも、地震が発生することが分かっているからと言って、現在の生活や家族を投げ打って地方に移住することは、非現実的だという人が多いだろう。大切なのは、地震発生後、自分だけが運よく生き残った場合に、家族や最愛の人を失ったり、家や財産を失っても、生ある事に感謝し、明るく前向きに生きられるか? それとも絶望感に打ちひしがれ、とても天に対し感謝する気持ちになどなれないと言った心境に陥るのか? それも、事前の我々の精神の磨き具合に関わってくると私には思われるのである。簡単に言えば、健全な人になろうという事だ。私の考える地震に対する備えとは、良心の育成に他ならない。




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