Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


ディファレンス 2006年5月1日 16:35

 rider1.0とrider2.0の表面的なディファレンス(違い)に対するマトリックスの制作は、きたりんやyktさんに委ねるとして、私はこの違いに対して、別の角度から探求してみよう。

 さて、すでに多くの人達が忘れ去っているが、歴史に対する無心の探索を行なえば、インターネットの創成期には、「バーチャルリアリティー論」を唱える識者がいた。
 分かりやすく例えれば、インターネットが普及すると、人々はバーチャルな仮想空間に逃げ込み、言ってみればあまり動かなくなるという理論である。
 もちろんそうした病的な側面も生まれたが、実際にはこの理論は杞憂(思い過ごし)に終わり、インターネットが普及すると、人々は益々よく動くようになった。大ゲサに言えば、それまで家でジッとしていた人に情報を伝えることで、これらの人達を家の外に引き出す効果も生まれ、モバイル文化が更にそれに拍車をかけた。
 きたりんやyktさんの行動様式を観察すれば、彼らはサーキットに行く前とサーキットでの行動とサーキットに行った後の感想を、携帯電話等を通じて、公開しているサイト向けとmixi向けと、実に2つの場所に情報を発信し、別のライダー達と双方向でコミュニケートしている。
 インターネットが始まったばかりの頃は、インターネットは他人とつながる手段だと考えられていたが、rider2.0にとっては、他人とつながっていることは、すでに手段ではなく前提である。

 rider1.0の話をしよう。
 有名なレーシングチームに入り、チームの長や他のチーム員やヘルパーの方達の協力により成長し、速さという名の実力でスポンサーも獲得し、順調にスターライダーになったとして、スターというものは、その名が示す通り、一方的に光を輝き放つだけである。相対的に、ファンは一方的に声援を送るだけである。
 つまり、第三者とのコミュニケーションは一方通行であり、人間関係はチームに属する身内との強固な関係が全てと言える。きたりんの言葉を借りれば、モテの発想という訳だ。
 以前にも述べたが、彼らの価値観は、ウィニング・イズ・エブリシング(勝つことが全て)なので、彼らの幸福を論ずれば、それは“達成感”である。

 rider2.0の話をしよう。
 郵便配達や新聞配達、あるいはピザのデリバリーなど、実用的に使われているオートバイをのぞき、趣味としてのオートバイについて語れば、オートバイとは、主体的な無駄遣いである。これは現代社会と先進国に許された消費行動の1つだが、本音では情けないと思いつつ、事実のみを語れば、現代人にとって消費とは、自分を表現する1つの手段となっている。
 rider2.0は、この自分を表現する手段として、オートバイやサーキット走行を利用している訳だが、rider1.0のような強固な人間関係は物理的に無理なタダのサラリーマンのyktさんや、単に苦手というきたりんは、これまでの常識だった旧来型のrider1.0ライクな人とのつながりは無視して、自分の持つ知識をオープンにすることで、第三者とのゆるいつながりを達成する。彼らの価値観は、使い古された言葉を使わせてもらえれば、双方向のコミュニケーションの達成なので、彼らの幸福を論ずれば、それは“充足感”である。

 ニュートラルな立場でそれぞれを傍観すると、rider1.0の方法論は男性的だが、rider2.0の方法論は女性的である。

 別の見方もしてみよう。
 オートバイという製品は、工業製品である。つまりは、オートバイは工業化時代の象徴である。そして、工業化時代とは文明の時代のことである。
 しかし、もうすでにかなり前から、大人達は脱工業化時代を叫び始めていた。
 では、工業化時代を脱すると、次にはどんな時代が来るのだろうか? 実際にやって来たのは、工業化時代からの脱出ではなく、工業化時代の成熟だった。そして、成熟化した時代とは、文化の時代のことだった。パソコンは文明だが、掲示板への書き込みやチャットは文化である。携帯電話は文明だが、メールのやりとりは文化である。オートバイは文明だが、走ることやカスタムすることは文化である。
 文明と金儲けが結婚すると、競争化社会が生まれる。競争化社会とは、男性的な社会のことである。ゆえに、ロードレースは文明社会の象徴としてぴったりマッチする。そして、rider1.0は文明社会の象徴の勝者を目指して走り続ける。
 しかし、rider2.0が楽しんでいるものは、文化である。文明を無視しているのでなく、文明を利用して文化を楽しんでいるのである。

 別の見方もしてみよう。
 rider1.0にとって重要なのは、表舞台である。表舞台での達成感を求めるには、人知れぬ努力とか、用意周到な根回しというものが必要である。
 しかし、rider2.0は、表舞台というよりも、舞台裏に関心が移ってしまっている。コソ練の全世界への公開などが良い例である。そして、舞台裏を全世界に公開しているrider2.0は、人知れぬ努力とか、用意周到な根回しなどには意味を見出してはいない。
 一方、rider1.0は舞台裏の情報をタダで提供することは好まない。提供する時には、基本的には金を要求する。
 rider2.0はネット上で情報を取得しても、感謝はするがお金を支払おうとは思わない。それよりも、別の情報を提供しようと考える。
 つまり、文明社会は競争社会であり、男性的社会であるが、文化的なコミュニティは、相互扶助社会であり、女性的な社会である。

 私の中でロードレースが終わり、ファイター系のカスタムに興味が移行したのは、ロードレースという名のリングの上で、オートバイという名のパンチを使って相手を叩きのめすことよりも、もっとオートバイを文化的に楽しみたいという欲求と共に、第三者とも文化を楽しむ相互扶助社会への憧れが強まったからなのだろう。

 参加者が成長すると、ステップアップしたり引退してしまうことで、人間関係が疎遠になってしまうロードレースの主催は虚しかったが、情報を共有している限り、rider2.0同士が疎遠になることはほとんどない。これが文明の暗部と文化の利点であり、rider2.0が2.0である所以(ゆえん)である。




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