Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


あたりはずれ 2005年1月14日 19:38

 水曜日に、父ちゃん母ちゃんが経営している無名の弁当屋の弁当を食べたところ、食あたりで夕方には39.2度の熱が出て倒れました。(笑)
 その後、下痢と嘔吐で脱水症状になったようで、病院行ったら点滴打たれました。(笑)でも、決してノロウィルスではありません。(こうしたことを冗談で使うと、インターネットの住人の方達は信用する人が多いので、フツーの日記調で失礼)

 さて、前回私はホンダに技術者はいらないとほざいたが、NSRでは250や50という二番煎じで甘い汁を吸ったというのに、ストリートバイカー系にトレンドが移行してからというもの、ホンダはことごとく戦略をミスっていると考えている方も多いことだろう。
 では、少し前の日記では、SRに対する二番煎じについて語ったが、調子ぶっこいて、本日はFTRについて語ろう。

 皆さん御存知のように、少し前には『モトショップ五郎』の吉澤さんのカスタムがキッカケとなり、TWがトレンドになったことがあった。
 そして、何かがトレンドになれば、アンチ派が生まれるのが世の常だが、TW以外で、ホンダに乗ろうと考えた若者は、FTR250の中古車を引っ張り出してきた。
 しかし、ホンダは、ヤマハがTWでウハウハしている時に、かなり長いこと黙って見ていたが、いい加減世の中のトレンドについていかないとヤバいと思ったのか、だいぶ遅れてFTRをリバイバルさせた。それが御存知ぶかっこうなFTR223である。(排気量からしてカッコ悪い)
 そして最初の内は、TWのヤマハに対して、別のメーカーでセメたかった若者は、新車のFTRに飛びついた。私自身、発売当時は、渋谷辺りで新車のFTRを沢山見かけたものである。しかし、FTRの勢いは止まった。チョイノリ現象である。
 FTRの勢いはなぜ止まったのだろう? それはホンダが本気ではないことを消費者が知覚したからである。

 ところで、ダートトラッカーにはフロントブレーキがついているだろうか? ついていない。しかし、ドリフトのキッカケなどにする為に、リヤブレーキは重要だろう。つまり、ダートトラッカーのリヤブレーキはディスクブレーキをつけるべきである。FTR223のリヤブレーキはディスクブレーキだろうか? 違う。ドラムブレーキだ。バカげている。では、すでに中古車でFTR250に乗る若者のFTRはどうだろうか? リアはディスクブレーキで、しかも排気量は250ccある。しかし、ストリートを走る若者に、その違いが分かるだろうか? 分からないだろう。なぜならば、彼らがオートバイに乗るのは、ファッションだからだ。これがホンダのハマったワナである。FTR223を世に送り出したホンダの社員は、こう思ったことだろう。「だってTWはたったの200だし、223でも23cc勝っているし、あっちは前後共ドラムだけど、若者はそれで満足しているようだ」。その通りである。しかし、TWは以前にTW250があったのだろうか? ディスクブレーキのTWがあったのだろうか? ない。FTRとTWでは、前身が違った。FTRのホンモノは、FTR250なのである。つまりFTR223はニセモノなのだ。これが消費者の知覚である。

 では次に、本当にダートトラックを走るマニアは、FTR223の販売を喜んだだろうか? 別に喜ばないだろう。ホンダが作ったFTR223は、渋谷を走る若者向けにホンダが儲け目的で作っただけで、自分達の為に作ったとは思わないからだ。実際、ダートトラックを本当に走る人達は、ホンモノ指向の海外のダートトラッカーに興味が向いてしまい、FTR223など乗りたくないというイキフン(雰囲気)を醸し出してしまった。では、ブレーキや排気量のことなどよく分からない若者達は、このイキフン(雰囲気)を察知しただろうか? 察知したかもしれないししなかったかもしれない。しかし、例えば本気でダートトラックを走る人達も満足するFTRを世に送り出し、ダートをガンガン走るシーンをPRした場合としなかった場合とでは、若者の認識も違ってきたのではないだろうか? TWはガンガン走らなくても良いバイクである。従って、100%ファッションでもいいだろう。しかし、FTRには伝統があった。フラットトラック専用車の伝統である。そして、伝統的なフラットトラックを走る人達にFTR223は支持されなかった。支持されていたかもしれないが、ホンダはそのことを何もPRしなかった。しかし、ホンダを弁護すれば、ホンダも商品開発の時点では、若者文化を研究していた。若者は自分の乗るバイクを自由にカスタムしたがっている。従って、溶接部分をボルトオンにしたりと、前身のFTR250に色々と改良も加えていた。そして、若者は性能よりも、カスタム重視なので、車体価格は抑えようと、コストダウンした。つまり少ない排気量にリアドラムブレーキである。しかしこれではまるで、勉強し過ぎで頭がおかしくなった共産党のようだ。ホンダの若者に対するおせっかいは、マニアに対する裏切りにつながり、FTR223はニセモノだという認識にハッパをかけた。

 ホンダは次にどうしただろうか? ホンダは更に若者にコビを売るべく、カラーバリエーションを増やし、カラーオーダープランなるライン担当者を混乱させるシステムを導入した。成果は上がっただろうか? 上がるハズはない。消費者はホンダはFTRを売る為に血迷ったと思うだけだろう。色を変えたい人間は、自分で変えればいいだけのハズだし、メーカーにそこまでメンドーを見られると、カスタム好きはむしろヤル気を失うのである。一体ホンダはなんでこんなことをするのだろうか? カラーバリエーションを増やすなどというラインエクステンション(製品種目の拡大)といったコストのかかることをする位なら、なぜ最初っからリアブレーキをディスクにしなかったのだろうか? これが“技術の”ホンダのやることなのだろうか? 多くの2輪の専門家も、バカげていると考えたことだろう。どんなにホメようとしても、FTR223に対しては、冷笑的な態度を禁じえないだろう。最初は若者も飛びついたが、この空気は次第に若者にも伝播したことだろう。223ccの排気量、リアドラム、こうした中途半端さがFTRの売れ行きが長続きしなかった理由だろう。しかも、本家のTWのトレンドも終わってしまった為、正に泣きっ面にハチである。

 もし、FTRを、ダートトラックを走るマニアも満足する造りにしていれば、カラーバリエーションなど増やさなくても、地道にダートトラックを走る人達に対するPR活動で、ひとつのカテゴリーを制することができただろうに、ホンダはTWとのシェア争いに踊らされ、誰も手をつけていない“ダートトラック場”というカテゴリーは無視してしまった。敗北である。
 ホンダは国内メーカーが誰も手をつけていなかったダートラックというカテゴリーの、FTRというブランドバリューを、たかだか一過性のトレンドに過ぎないTWとの争いで浪費してしまったのである。“巨象も踊る”とはこのことだろう。ああもったいない。

 しかしホンダは懲りていない。次なるは、マジェスティに対するフォルツァである。D-トラッカーに対するXR250モタードである。DR-Z400に対するXR400モタードである。ホンダはNSRでの成功体験を捨てられないのだろう、ここのところは常に“後追い戦略”である。バカげている。「技術があれば、何でも造れる」。これがホンダの強さであり、弱さである。自分が信じる道のみを極め、そこを信じることが実は利益である。他人のおうちにミサイルを撃ち込むことが趣味の味覚後進国が造ったハーレー・ダビッドソンはVツインエンジンにこだわっている。言っていることの90%がウソで、10%が“聞いた話”というイタ公ですらデスモやLツインにこだわっている。(注:10%の聞いた話の内の90%がウソで10%が聞いた話で、その内の…、と、イタ公の言うことは、限りなく100%に近いウソである)日本人は技術にこだわりマイオゥピア(近視の医学用語)になっている。よしんば技術にこだわるのならば、考えすぎてFTRをドラムにするよりも、ダートトラックを走っている人達が本気で喜ぶマシンを造って、1台売るごとにしっかりとした利益をあげるべきなのである。その方がつなぐプロジェクトの斉藤さんも喜ぶことだろう。

 しかし、FTR223は、タイヤが滑らずに企画が滑ってしまった。FTR223を売り出した際の雑誌広告は、渋谷の丸井本館の前の道路がダートになっていて、そこをFTRが駆け抜けているという絵だった。広告代理店は素晴らしい仕事をした。しかし、この広告に欠けていたものは、売上の持続だった。中国はなぜ小泉総理の靖国参拝を非難するのだろうか? それは、日本に対する敵視政策において、ターゲットを絞る為である。仮に他の閣僚の靖国参拝についても非難したり、伊勢神宮の参拝に対しても非難すれば、中国国民の意識は拡散してしまうからである。小泉総理の靖国参拝“だけ”への批判、これこそ中国共産党の日本に対する敵視政策が功を奏している理由である。対して我が国の北朝鮮外交はどうなっているだろうか? それは『対話と圧力』である。はぁ〜? さっぱり意味が分からない、専門家の意見は二分し、国民の思考は停止してしまうので、北朝鮮への外交政策には結果が出ない。FTR223の広告は、我が国の北朝鮮外交と似ていた。消費者は、ホンダは、FTRを渋谷で走らせたいのかダートトラックで走らせたいのかこの広告では知覚できなかった。意図するしないに関わらず、戦略が分散した結果の敗北である。また、ダートトラックを真剣に走る人達も、FTR223の発売がダートトラックのブーム作りには役に立たず肩を落とした。そして全員が不幸になった。
 しかし、ホンダは再び同じことを繰り返し、人間を不幸にすることだろう。なぜならば、誰もその愚行を指摘しないからだ。つまり、私の日記は建設的な批判である。アリストテレスはかつていみじくも語った。「人間が為すことはすべて、幸福になるのが目的である」と。私も幸福になりたいと思う。そして皆さんも幸福になりたいだろう。

 しかし、問題を逆方向から眺めれば、実のところ人間は賢明である。メーカーはラインを拡大し、自社のブランドバリューを下げることに労力を注ぐ。しかし、消費者の知覚がそれに対して冷厳に「No」を突きつけるのである。
 カワサキのZ、スズキの刀、ホンダのCB、これらのオートバイにいつまでもこだわり続ける人達は、ただの懐古主義者というよりかは、知覚に従順なのである。人間は自らの知覚を優先し、その結果性能や品質は軽視するのである。消費者へのアンケート結果はアテにならない。自分の知覚を満足に表現できる人間などいないからだ。

 メーカーはまず知覚を作ることである。そして、知覚が出来上がったら、その知覚を死守することである。アメリカではハーレー・ダビッドソン、イタリアではドゥカティが自社に対する消費者の知覚を死守している。ホンダ、ヤマハ、スズキ、そしてアプリリアは知覚を無視してラインを拡大した。結果、ブランドバリューは下がり、大販店の餌食となった。価格で勝負できない町のバイク屋からは悲鳴にも近い苦情が出た。業界は混乱し、消費者も混乱した。オートバイの魅力は薄れ、オートバイは売れなくなった。業界全体が地盤沈下を起こした。そんな中、ハーレー・ダビッドソンとドゥカティは我が国でシェアを伸ばした。この2社はラインの拡大は行っていない。

 今後、国内メーカーがやるべきことは何だろうか? ひたすらヒット作を求めて新製品を増やすことだろうか? ダイムラークライスラーは、愚にもつかないお荷物のスマートの販売を凍結した。競争が激化するお菓子業界にて、森永だけが、グリコと明治を引き離し、増収増益している。森永の社長は語った。「強みのある8つのセグメントにマーケティングを集中させている」。
 答えは明らかである。パイが小さくなっている今こそ、ラインを絞るのである。そして、消費者にシンプルなメッセージを送るのである。『もっとオートバイに乗ろう』などというキャンペーンは効かない。むしろ伝統を誇示するのである。
 えっ? 何々? インパルスは伝統を売り物にしても売れてないって? 元々大した伝統ではないのだよ。
 400ccのマルチで、過去に伝統を作ったオートバイは何だろうか? それはZ400FXと、CB400FOREと、マッチも乗っていたCBX400Fである。その後、ゼファーはヒットしただろうか? ヒットした。CB400SFは売れているだろうか? 売れている。商品の争いは、消費者の知覚の争いなのである。

 えっ? 何々? スズキのバンバン? あのスズキがやっつけ仕事で作ったオートバイのことか? ここのところ下痢と嘔吐と断食で、頭の回転がニブいので、やっつけ仕事で作ったオートバイに相応しく、やっつけの評価をしてみよう。4ストのバンバンはホンモノではない。おわり。




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