三宅島モーターサイクルフェスティバルに絶対反対!


宮城光氏との対談 2008年4月22日 17:47

 多くのライダー達に対して、ネット上で「公道レースの推進」という名の精神汚染を撒き散らした小林ゆき氏の罪は重いですが、私自身、小林ゆき氏に直接会って、三宅島モーターサイクルフェスタについて訪ねたところ、小林ゆき氏は、宮城光氏は当初、バイクレースには賛成していたものの、メーカーの圧力に応じて“仕方がなく”反対の立場を表明したのだと私に対して説明しました。
 しかし、私自身はすでに別の情報筋から、その対話の前の段階で、宮城光氏は三宅島での公道レースには強硬に反対していたものの、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJが全く相手にせず、MFJは、「東京都がやると言ったらやるんだよ」といった態度を崩さなかった為に、宮城光氏は関係各位に対して強く働きかけ、公道レースの実現を阻止していたと聞いていました。
 また、小林ゆき氏との対話の後で、別の私の情報筋においても、小林ゆき氏の私に対する情報は“ガセネタ”であり、間違っていると指摘されました。
 こうして、私は3つの情報筋から情報を入手した訳ですが、宮城光氏の直接的な情報ではない為、ジャーナリストでもなんでもないただの素人の私は、ジャーナリズムの基本どうのこうのよりも、純粋に個人的な知的好奇心により宮城光氏に連絡を取ったところ、宮城光氏と直接対談することが出来ました。

★宮城光氏との対話
 事実確認をいたしますと、石原知事が推進する、マン島TTを模擬した公道レースの実現は、東京都に属すと言える伊豆七島であれば、実はどこでも良かったようです。
 そして、マン島TTを我が国で再現する為に、実際に島の道路は公道レースに耐えうるものかどうかをMFJが調査する為に、その調査の依頼を受けたのが宮城光氏であり、その時点では、宮城光氏は公道レースに対して、賛成も反対もせず、立場上中立的なポジションだった訳です。
 そして、公道レースが開催できるかどうかを調査する為に、八丈島と三宅島に訪れたそうで、八丈島は普段の自動車等の交通量が多く、道も汚かったのですが、三宅島は交通量も少なく、2000年の火山噴火の後の復興により、道もきれいになっていた為、三宅島の方が好ましいということになり、ここで初めて三宅島でのレースの可能性が高まった訳です。つまり、いわゆる“復興支援”という言葉は、全部後付けの論理であり、石原知事は公道レースを開催するに当たって、場所はどこでも良かったと言えます。また、そのことを裏付ける証拠として、石原知事は、八丈島と三宅島の両方の村長と町長をマン島視察に連れていったと述べています。

石原知事臨時記者会見録 平成18(2006)年12月26日(火)参照

 そして、宮城光氏は、2006年7月に1回、同年8月に2回、11月に1回、合計4回に渡り三宅島に訪れ、警視庁の立ち合いの元に道路を封鎖し、自身が所有するCBR1000RRと、FZ6、XT250X、XR250、ホーネット250、XR100モタードを走行させ、三宅島の公道がレースに耐えうるものかをテスト走行したそうです。
 そして、自己所有のCBR1000RRでは、しかるべき速度を出して走行し、同行した警察に対しては、「どうですか、私は現役を引退しているライダーですよ。現役を引退しているライダーですらこれだけの高速で走ってしまうのだから、現役のライダーが本気を出したら、どれだけ危険か分かったでしょう」と、危険性を強くアピールしたそうです。また、私自身の元にも、一般のライダーからよく、「スーパーバイクは危険そうだから、危険が少ないモタードレースや、ミニバイクレースにした方が良いのでは?」という提案をする方がいらっしゃるのですが、宮城光氏は、XR100モタードなどのテスト走行も含めて、三宅島での公道レースは絶対に不可能との判断をしました。
 これは私の意見ですが、私もこの宮城光氏の考えに100%賛成であり、ミニバイクも、リミッターをカットしただけで時速90キロは出てしまいますし、チューンしたミニバイクレーサーは時速100キロオーバーも可能で、ミニバイクレースの開催は、Rがきついコーナーとコーナーを短距離で結んだ、小さな敷地内にあるミニバイク専用のコースか、あるいは、安全対策の施されたもてぎのような国際格式のコースで開催されており、時速100キロの巡航速度でガードレールや鉄柱がコース脇にあるコースを高速走行し、万一コースアウトすれば、簡単に死亡事故が発生するのは想像に難くありません。また、これはミニバイクレースに限らず、コースサイドにセーフティーゾーンがない場合は、転倒した車両やライダーがコース上にはねっ返って戻ってきてしまう為に、2次災害の危険性が高く、単独転倒による重大事故と共に、2次災害の危険性が飛躍的に高まるのが公道レースな訳です。
 また、これは三宅島再生ネットワークの佐藤氏からの情報ですが、昨年の三宅島モーターサイクルフェスタでは、参加台数の少なさから、島民の原チャリがパレード等に参加した際、のぼり勾配がキツい箇所にて、原チャリが坂を登れずに停車してしまい、後続車が追突する危険性が指摘されたそうです。つまり、仮にスピードが出せないパワーがない小排気量車を使ったとしても、別の問題も発生してしまう訳です。

 話を戻しまして、宮城光氏は、当初のスタンスとしては、極めて中立の立場で、最初は賛成していたという小林ゆき氏の私に対する説明は間違っており、メーカーからの圧力で反対に回った訳でもなく、宮城光氏の個人的見解で、4回に渡ってテスト走行をするたびに、走れば走るほど、この道でレースを開催することは絶対にやめるべきだという思いが強まっていき、仮に、もしここでレースなど開催したら、死亡事故が続出し、これまで自分達が築き上げた、1962年の鈴鹿サーキットの建設以来の46年にも及ぶ、「ロードレースはサーキットで開催し、より安全性を追及することで社会の認知度を高める」という、ロードレース界に対して真剣に想いを寄せる人達の努力が無駄になると共に、コース上に安全対策の為に、1年にたったの3日間程度だけ使用する為に数千万円をかけてクラッシュパッドを設置したとして、残りの362日の間に、そんなものが一体島の人達の暮らしに対して何の役に立つのか、それが復興支援と言えるのかと、怒りをこめて語っていました。
 また、こんなレースをネット上で勝手に推進している小林ゆき氏が、自分自身をジャーナリストとしているにも関わらず、狭い業界の中で、宮城光氏に連絡を取ることなど簡単なハズなのに、そんなジャーナリズムの基本すら守らず、ジャーナリストを自称していることなどちゃんちゃらおかしく、宮城光氏のことを自身のブログに勝手に書いていることも含め、小林ゆき氏の存在は、健全な発展を願うロードレース界にとって大変迷惑な存在だと、小林ゆき氏のスタンスに対して、これもまた怒りを持って語っていました。
 正直に告白すれば、私自身は、それまでインターネットと親和性が高い、アルファブロガー系のrider2.0と呼ばれるライダー達が、全員、小林ゆき氏のことを余裕でDISって(ディスリスペクト:尊敬しないの意)いることは知っていましたし、小林ゆき氏の天然とも言えるオメデタイ文章に対しても、ほとんどギャグとしてしか捉えておらず、小林ゆき氏のことを余裕でDISるrider2.0に対しては、私自身が小林ゆき氏と面識があったこともあわせて、「まーまーまー、彼女もこの業界で生きてくに当たって色々と大変なんだと思うよ」といった、rider2.0をなだめるような、そんなスタンスだったのですが、小林ゆき氏が、そんな私に対してもガセネタを提供してまで公道レースを推進し、更には、本人は知ってか知らずか、単に利権にまみれた右派の政治家である石原慎太郎個人も持ち上げてしまい、ただの保守論壇ホステスにもなっていることに対して、だんだんと憤りを通り越して、これは本気で反対意見も提示しなければ、死亡事故という、ロードレース界にとっても、三宅島の島民の方達にとっても、誰もが不幸にもなる事態が発生してしまうと、私は業界の“鼻つまみ者”になるのを覚悟で、反対の意思表明をする決心をした訳です。

 ちなみに、宮城光氏も、例えば、今回の件で、ワザワザ波風立てる反対のスタンスなど取らず、ホイホイと簡単に賛成に回って、競技長でも務めてしまえば、むしろお金ももらえて自分自身は儲かってしまう訳なのに、なぜ、自分自身には何の儲けにもならず、反対の意思を表明したのかと言えば、自分はこれまで30年間もこの世界でメシを食ってきた人間としての責任があり、ロードレースを真剣に愛しているので、そうした浅はかな行動は出来ないとも仰っていました。
 そして、こうした真摯な意見を拝聴したことで、私自身も、自分自身が出来ることは何かと自問し、インターネットの特徴である、反論権の担保を利用して、石原都政の欺瞞性を暴き、更には、ネット上で公道レース推進という害悪を撒き散らす小林ゆき氏の欺瞞性も同時に暴き、単に石原慎太郎の利権でしかないこのイベントに協力する全ての人達の努力が、無駄な努力になるよう活動しようと考えました。なぜならば、宮城光氏が仰るように、石原慎太郎の提灯持ちとも言える、公道レースの実現の為の努力など、「ロードレースは危険ではあるが、危険をもて遊ぶスポーツではない」ということを証明する為に、46年間にも及ぶ、常に安全性を優先してきたという、宮城光氏を含めた、尊敬すべき先輩ライダー達の努力に比べれば、子供のたわごとのようなものだからだと思われるからです。

 つまり、公道レースは、ロードレースを愛す者にとっては、夢でも希望でもなく、ただの悪夢なのです。




★追伸(2008年7月3日)
 後日、宮城光氏とお会いし、公道レース推進派の人が、「宮城は公道レースに参加したこともなく、サーキットでのレースしか経験していない人間が、公道レースの反対をするな」と批判していると伝えたら、宮城光氏は、1984年にニュージーランドの公道レースに参加した際、“たった今”までパドックで楽しく会話していたライダーが、その後コース上で自分の目の前で転倒してガードレールに激突して死亡するのを目撃したこともあり、そうした経験も踏まえた上で、公道レースに反対したのだと激昂していました。



 ↑は公道レース参戦時の宮城光氏の画像。



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