Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


三宅島エンデューロの参加者は恥を知れ
2010年11月15日 22:24

 高等霊長類には必ず、個人の利益追求反射と呼ばれるものがあるらしい。

 そして、これは2輪業界の住人にも当てはまり、つまりは、2輪業界にとって最善の決断と、個人にとっての最善の決断のどちらかを選ぶという事態に陥った時、人間という霊長類のほとんどは、パーソナル・アジェンダ(私的な利益の追求)に走ってしまうようだ。

 これを別の表現で、「三宅島エンデューロレースに参加する」と言う。

★カテゴリーを変える事で延命をはかる既得権益
 石原慎太郎が独善的にトップダウンで決行した三宅島のバイクイベントは、当初からその欺瞞性が指摘され、初年度にかの有名な岩城滉一が1000万円ものギャラを火事場ドロボーした事が明るみに出ると共に、このイベントは単に石原利権による既得権益でしかないという事が、社会の暗部を直視できる人間ならば簡単に理解できるようになった。

 もちろん、それでも尚、小林ゆきレベルで脳内がお花畑の人間は、そうした欺瞞性に対して全く耳を傾ける事なく、このイベントを利用して売名をはかった。

 弱者を切り捨てた上で投入された税金を使って売名をはかった。

 2年前のプレイベントでは青木拓磨や山口銀次郎、昨年のイベントでは丸山浩などなど、このイベントを利用して売名をはかろうという2輪業界の有名人は後を絶たない。

 また、有名人だけでなく、発行部数の伸び悩みに襲われている国内2輪専門誌も、ネタを求めてこのイベントの提灯記事を書く訳だが、カラー6ページぶち抜きで、石原慎太郎やこのイベントを推進するカミチューこと神谷忠の提灯記事を書いた『クラブマン』誌が、その後天罰が下るかのように死亡したにも関わらず、昨年にはクレタが発行する『レディスバイク』がこのイベントをネタにした。

 そして、更には、以前から提灯記事を書いていた悪名高い『MOTO NAVI』誌は、一度廃刊後、あろうことか火事場ドロボータレントである岩城滉一の提灯記事をひっさげ再び創刊した。

 また、『フリーライド・マガジン』も、このイベントの提灯記事を書く事で、文字通りこのイベントに“タダ乗り”をはかった。

 そう、このイベントを利用して売名をはかるのは、何も個人だけでなく、国内2輪専門誌もまた、このイベントに便乗しようとする雑誌が後を絶たない。

 そしてまた、このイベントに対する批判をかわすかのごとく、このイベントを推進する人達は、最初は全日本のスーパーバイク、それが無理だとなるとクラシックバイクレースやサイドカーレースやドラッグレース、それからスーパーモタードやFMXなど、まるでイナゴのように2輪のカテゴリーを食い荒らした。

 そして2010年に行き着いた先に有ったものが、“エンデューロレース”だった。

★自浄作用が無かったエンデューロ
 『三宅島モーターサイクルフェスティバル』は、前述のようにロードがらみのイベントを締め出す形で美容整形を施し、2010年には『WERIDE三宅島エンデューロ』として看板の掛け替えを行ったが、主に2輪業界の中のマイノリティであるカテゴリーなどに、「税金を使ってあなたが住むカテゴリーを持ち上げますよ」という甘い蜜を使いすり寄るという毎度の手法により、今回は“エンデューロ”というカテゴリーが標的にされたのは誰の目にも明らかであるというのに、ロードレースにおいては尊敬すべき宮城光氏の存在などの自浄作用があったものの、KTM埼玉の小池田猛やウイリー松浦をはじめとするエンデューロの世界の住人達は、自浄作用どころか平気でこのイベントに便乗し、更には税金を使って売名をはかった。

 弱者を切り捨てた上で投入された税金を使って売名をはかった。

★理解されないプライオリティ

「W松んち」の浅はかでバカげたエントリ

 ↑のエントリを読んでみると、オフローダーが三宅島を走れば、三宅島の復興に一役も二役も買う事になるらしい。

 私がこのエントリを読んで理解したのは、このエントリを書いた人間は、“費用対効果”という言葉が理解できないという事である。

 では、これまでさんざん証拠をあげてきたので、多くの読者は何を今さらと思うかもしれないが、エンデューロライダーの多くは、政治家の利権というものに対して何の知識もないようなので、以下にはほんの少しだけ証拠を提示してみよう。

 石原慎太郎は、『年越し派遣村』に対しても、「甘えるな」の一言で支援をしない事を表明する事からも分かるように、社会的弱者の救済には興味を示さず、石原利権を独善的に推し進め、その結果、新銀行東京やオリンピック招致や築地移転など、広告代理店や国交省利権などを肩代わりする、言ってみれば既得権益側が用意したエージェント(代理人)である。

 また、自身が政治家として延命をはかる為に、流出ビデオの犯人を「愛国無罪」と断言するなどして、国民の民族意識の高揚を利用して集票する右派議員である。

 それはさておき、三宅島で開催されるバイクイベントも、自身の選挙を仕切る東急エージェンシーや道路族などの利権の為に開催しているので、復興支援の美名は単に利用しているだけに過ぎず、むしろ洞爺湖サミットでの洞爺湖と同じ手法にて、天災により心身が弱っている人達が住む地域をワザと標的にして寄生する、“ショックドクトリン”(大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革)的な手法により、三宅島も政治家の標的にされたとすら言える。

 具体的には、三宅島のバイクイベントには毎年2〜3億円の都民の血税が投入され、三宅村も初年度は3億円、今年も3000万円もの予算を計上して開催されているが、この打ち上げ花火的なイベントが島の復興に役立っていると考えているのは、脳内お花畑の小林ゆきくらいなものだろう。

 しかし、現時点で15兆4000億円、都民1人当たり118万円もの東京都の借金が仮にゼロだとして、更には福祉や医療などに関して北欧並みに問題がなく、毎年キチンとした黒字が出ているというのであれば、あるいは打ち上げ花火をたまに上げて見るのもよいかもしれない。

 しかし、医療や福祉などお世辞で問題が山積し、借金も日に日に増やしている現状にて、こんなバカげたイベントの開催よりも優先すべき事は山ほどある。

 三宅島に関しても、島の半数が老人という島にて、こうしたお年寄りに対する医療や福祉など、島の社会的弱者への救済処置の方がはるかに優先順位が高い。

『三宅島新報』第22号

 ↑を拝読しても、未だ帰島できない在京島民に対する帰島対策において、人工透析装置の配備の方がはるかに重要だという事が誰の目にも明らかである。

 エンデューロライダー達は、これを読んでもまだ、オフローダーが島を走る事の方が島の復興に役立つと思うのだろうか?

 思うのだろう、今年島に渡った90人あまりのオフローダー達は。

 バカげている。

 また、もしこれを読むあなたが、オートバイという乗り物は、反体制的な“自由の象徴”だと考えるのであれば、“自由の象徴”を、単なる“利権の道具”におとしめた90人あまりのオフローダー達の罪は重い。

 しかし、「罪を憎んで人を憎まず」の助言に従えば、今回このイベントに参加した90人あまりのオフローダー達にも罪を償う方法はある。それは、少なくとも今後は、政治家の利権には近寄らない事である。

 今回、90人あまりのオフローダー達は、「初めて走るコースが体験できるので楽しそう」という目先のエサに目がくらみ、短期的な私欲に溺れ、同時に、長期的には“エンデューロ”というカテゴリーにドロを塗り、自らの足を撃った訳だが、もし、今回このイベントに参加した90人あまりのオフローダー達が、小林ゆきレベルで改心の素振りすら見せないのであれば、単に“エンデューロ”というカテゴリーにとどまらず、オートバイを“自由の象徴”と考える全世界のバイク乗り達から共通の敵とみなされる事だろう。

★賞金レース
 三宅島で開催されるバイクイベントは、毎年参加者集めに苦労した為、イベントの生みの親である石原慎太郎は、参加者を集める為に賞金レースを提案した。

 私自身、ハングリーなライダーを育て、また、その姿を見せる事で観客も集めるというアメリカライクな賞金レースは好きである。

 しかしそれは、あくまでも民営にてレースが開催される場合であり、社会的弱者も救わず都民から集めた血税で開催されるイベントに適用すべきでないというのが私の考えである。

 また、この“賞金レース”というアイデアは、ボトムアップでのアイデアではなく、石原の独善的ないつもの“気まぐれ”的なトップダウンであり、毎度イベントの内容がコロコロ変わるものの、その都度、空疎な小皇帝の“ツルの一声”で物事が決定していくその姿に対して、このイベントにおける信念などは微塵も感じられない。

 今回、賞金が200万円用意されたそうだが、実際にKTM埼玉の小池田猛は恥も外聞もなく、30万円の優勝賞金を手にし、同時に売名もはかった。

 何度でも繰り返すが、三宅島には、バイクレースになど何の興味もない、医療や福祉が必要なお年寄りや、火山によるガスの高濃度地区に住む、ストレートに生活に困っている方が存在する。

 また、三宅島に在住する島民だけでなく、未だ帰島出来ない1000人もの在京島民も存在する。

 そうした人達は、自分達には何の救いの手が伸ばされないというのに、どこの誰かも知らないバイク乗り達が東京都や島の予算、つまりは血税を使って勝手にレースを楽しみ、挙句の果てに200万円もの賞金を手にして喜んでいる様子に対して、どういう想いを抱くのだろうか? また、今回賞金を手にしたライダーや、それを目指して走ったライダー達は、そうした社会的弱者の気持ちに対して、何の想いも想像する事が出来なかったのだろうか?

 出来なかったのだろう。

 彼らは、あくまでも、「復興支援」の美名の元にこのイベントが開催されていると心底思い込み、石原利権や社会の暗部を直視する習慣がない、控えめに見積もって小林ゆきレベルで“おめでたい”人達だったようだ。

 しかし、もし、今回このイベントに参加した90人あまりのオフローダー達が、私の文章に対するリテラシー(読解力)を発揮して頂けるのであれば、自らの愚行を恥じて頂きたいと思う。

 あるいは、90人あまりのオフローダー達は、以前の一部の参加者のように、徹底的に私の事を敵視する事で、自らを正当化するという道もある訳だが、それならそれで、インチキ臭い宗教に対してまともな人なら誰も近づかなくなるように、このイベントの欺瞞性がより強調されるので、私にとっては特に問題がないだけでなく、今回も私の文章は成功する事になるだろう。

 “エンデューロ”というカテゴリーの地盤沈下と引き換えに。

★逆搾取
 今年の『WERIDE三宅島エンデューロレース』の開催に当たって、三宅村は3000万円の予算を計上したようなので、たったの2700人しかいない島民にとっては、1人当たり1万円以上の出費となり、今年イベントに参加した90人あまりのオフローダー達は、三宅村の人達に対して復興を支援したというよりかは、毎度のごとくストレートに逆搾取する事になった。

 こうした文章を書くと、例え3000万円を計上しても、島に渡った人達が金を落とせば経済効果があるハズだと、このイベントの推進者達は自己弁護する事だろう。

 しかし、その理論こそ私の批判の対象に他ならない。

 つまりは、イベント中に島に渡った900人あまりの観光客が、仮に1人あたり3万円を島に落とせば2700万円となり、島の予算程度になる訳だが、この観光収入は、宿泊施設やおみやげ屋さんや食堂など、観光を生業とする人達に落とされるので、島からお金を集めて商売人に移動させただけの結果となる。

 つまりは、島内の格差を税金を使って助長するというのがこのイベントの実態であり、“ショックドクトリン”(大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革)と言える。

 また、三宅村というミクロではなく、東京都というマクロで言えば、このイベントの開催によって、東京都に住む社会的弱者に対して金が回らず、億単位の血税が、石原の息のかかった広告代理店等に回ってしまうのであり、これも彼らの真の目的に他ならない。

 つまり、私を含めた東京都の納税者の中で、税金の無駄遣いは許さないと考えている東京都民や、あるいは納税する事が出来ないが、むしろその為に行政の支援が必要不可欠な社会的弱者にとっても、このイベントに参加した90人あまりのオフローダー達は共通の敵になったと言える。

★ミスリードされる歓迎ムード
 事あるごとに島民の笑顔ばかりを強調する小林ゆきのワンパターンな思考は嘲笑の対象だが、毎度イベントの参加者達は、あたかも島民全員が自分達を歓迎しているかのごとく、ブログ等で島民からの歓迎を声高に主張するが、それは、このイベントを推進する三宅村の役人と、その人達の息がかかった、言ってみれば島内の「勝ち組」の対応を誇張しているに過ぎない。

 むしろ、日の目を見ずに切り捨てられている社会的弱者の救済が政治家の仕事であり、また、その部分にスポットを当てるのがジャーナリズムだが、石原慎太郎も、ジャーナリストの肩書きを自称する小林ゆきやその他石原の提灯記事しか書けない国内2輪専門誌も、控え目に言ってクソである。

 何度でも繰り返すが、島の福祉や医療には金が回らず、高濃度地区で生活に苦しむ人達にも金が回らず、未だ帰島出来ない在京島民の帰島対策も冷たく打ち切られているにも関わらず、単に石原周辺の人間の既得権益の為に企画されているこの復興支援と称されたイベントは、「復興支援している」とおめでたい調子で信じている90人あまりのオフローダーの気持とは裏腹に、石原の悪政により切り捨てられた東京都の社会的弱者や、三宅島に住む生活に困っている方達や、未だ帰島出来ない1000人もの在京島民の人達にとって、決して笑う事が出来ない残酷なジョークへと変容している。


WERIDE三宅島エンデューロレースに絶対反対!




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