Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


カツマーVSカヤマーとのオーバーラップ
2009年10月21日 11:20

 カツマーとは、ルックス的にも鼻の穴が広がっている、見るからに鼻息が荒らそうな経済評論家で公認会計士の勝間和代の著書を鵜呑みにして、とにかく頑張る女性のことである。

 カヤマーとは、勝間和代の著書を読んでとりあえず頑張ってみたものの、思った程幸せになれなかった女性が、今度は精神科医の香山リカの著書を読んで、足るを知ることで幸せを得ようとする女性のことである。

 もちろん上記は、暴力的にシンプルに語っている解説なので、カツマーやカヤマーの当のご本人達からは異論や反論もあるかと思われるが、勝間和代や香山リカの著書を読んで影響を受けるような人達は、主に20〜30代のキャリアウーマンを目指す女性達なので、これを読むむさいバイク乗りの野郎共は、これ以上深くこの2人について学ぶ必要はない。(笑)

 ちなみに、カツマーVSカヤマーの物語を傍観すると、個人的には、これは現代女性版の孔子と老子の違いのように感じられてしまう。

 そう、孔子というのは、「隣に住む人達とも仲良くする為にも、あいさつをしっかりしましょう」ライクな『仁義』を広める為に、わざわざ隣の国まで自分の教えを広めようと頑張っちゃった人だが、あまりその頑張りは報われず、逆に、隣の国と行き来などせず、小さくまとまろうというのが、小国寡民(しょうこくかみん)という老子の教えだった。

 私は個人的には、孔子の教えである儒教よりも、圧倒的に老子や荘子の教えである老荘思想びいきなので、勝間和代も、勝間和代の著書を鵜呑みにして頑張るカツマーも、御苦労さまと言った冷めた視線で見がちなのだが、なんでまたカツマーVSカヤマーの話を持ち出してきたのかと言うと、先日アップした、『アーブ山口が伝える民間伝承』を後で読み返してみて、80年代の空前のロードレースブーム世代の、懐かしい根性論を抱いたサーキット野郎と、最近のミニサーキット等を走る“ゆるい”サーキット野郎との対比が、カツマーVSカヤマーのイメージとオーバーラップしたからである。

★カツマー的なサーキット野郎
 80年代の空前のロードレースブーム世代、特に84年位から89年、つまりまんまバブル全盛期と重なった頃のサーキットでは、スポーツ走行にて、走行開始時間が来てしばらく経ってからのんびりコースインするライダーなど、ハングリー精神のかけらもない負け犬確定君で、更にサーキットに女など連れてこようものなら、神聖なるサーキットを冒涜するバカげたライダーとしてコース上で袋叩きにでもあいかねないような状況だった。

 つまり、みんな眉が吊り上っていた。

 そして、食費を削ってでも全財産、あるいは自身が借りられる借金の限度額一杯まで持ち金をサーキット走行に突っ込むのが基本だったし、速く走る為ならどんな些細なスキルでも身につけるべきだとみんなが考えていた。

 これは、まんま勝間和代的な思考で、とにかく頑張りさえすれば道は開けると、ほとんどの人がなんの根拠もないまま盲目的に突っ走っていた。

 しかし、バブルがはじけると共に、そんなサーキットの風潮に陰りが見え始めた。

 最も激戦だったSPクラスは、メーカー直系のいわゆるショップワークスしか勝てないという事実が常識となると、多くのライダーはその前途多難さを素直に受け入れ、当時の『サイクルサウンズ』誌などは、ショップワークスとプライベートの差の少なさや、ワークスに上がってレーサーを走らせるようになった際の移行のスムーズさを強調し、ロードレース入門は、市販車改造クラスから“ワンツーファイブ”、つまりGP125に変更するよううまく仕向けた。

 そしてその流れは、ポケバイ→ミニバイク→GP125のレーサーという、幼少期からの英才教育派のライダー育成にも一役買った。

 その一方で、そもそもプロのレーサーを目指すのは無謀だと悟った人達は、自分のアイデアでマシンを製作できるシングルレースやテイストなどのイベントレースに鞍替えし始めた。(私もそのクチである)

 しかし、それでもなお、国際格式のコースで開催されるイベントレースは、草レースとは名ばかりで、結局は、漂白された、骨抜きの、おとといきやがれ方式のMFJ管轄だったので、私は、自分が出たいレースを自分で開催しようと、当時は斬新な発想だった、“何でもアリ”で、定員制の為に予選落ちがないというROMC(ロムシー)という草レースの開催を始めた。

 その後は、私のような個人が主催する草レースは一定のニーズを集め、相対的にメジャーなロードレースはどんどん衰退していったが、幼少期からの英才教育派の台頭に伴い、上層部はどんどんと先鋭化されていった。

 つまり、昔の人達の懐かしい根性論は確かに凄かったものの、昔も今も国際格式のコースでトップクラスを走る人達は、カツマー的な人達だと言える。

★カヤマー的なサーキット野郎
 以前書いたように、私が37歳の時に中年リターンライダーとしてミニサーキットに訪れると、そこにはそれまで出会ったことがない全く別の人種の人達がいた。

 そう、そもそもプロのライダーなど目指していない、趣味でサーキット走行を楽しむだけの、それもかなり“ゆるい”人達である。

 また、私は空前のロードレースブームの時には、費用対効果を考えても、当時は割高だった走行会になど絶対参加せず、より割安なスポーツ走行で走るようにしていたが、中年リターンライダーとしてサーキット走行を始めてから、リファインさんの主催する走行会に参加すると、パドックでは他の参加者の方達とのゆるい仲間意識も芽生え、ただ単に走っているだけでも十分楽しいというか、眉を吊り上げて走っていた頃よりも、むしろ幸せな気分を味わうことができた。

 つまり私はサーキットのカヤマーになっていた。

★パラドックス
 香山リカの教えでは、95%頑張っても、残りの5%が得られないのなら不幸と考えるよりかは、ふと振り返り、95%も達成したことを知って満足した方が幸せということで、あまりガムシャラに頑張るよりかは、今ある幸せを噛みしめた方が良いとのことだが、こうした勝間和代の著書に対するアンチテーゼは、実は勝間和代的な頑張りを実践した後で気付く価値観だという皮肉なパラドックスがある。

 つまり、1年間くらい気合を入れて持ち金をフルに突っ込んで何かのレースに全精力を傾けて参戦すると、リザルトはともかく、1年後にはかなりのロードレースに対するスキルが身に付く。

 そしてその後、今度はマイペースでゆるい調子でサーキット走行を楽しむことで、カツマー的なサーキット野郎とは違った楽しさを満喫できたりする心の余裕が生まれたりもする。

 別にこれを読むあなたが、どのポジションでどのようなアプローチでバイクやサーキットに関わろうと、私にとってはどうでも良く、“これがお勧め”みたいな話を期待されても困るのだが、もしあなたが20代前半までの年齢なのであれば、何かのレースに真剣に取り組むのも、人生に充実した思い出を作るに当たって良いことかもしれないし、その後就職したりしてバイクから遠ざかり、中年リターンライダーとして再びサーキットを訪れた時も、何か別の楽しさをすぐに見い出せる可能性が高い。

 しかし、最近よくありがちなパターンとして、30代くらいで免許を取って、いきなり高性能なリッターSSなどを買ったものの、すぐにあきてしまったという人も多いようだ。

 こうした人達は、SSを買いさえすれば、翌日にはフルバンクしてヒザも擦れる位のイメージと期待感を持って150万円位のローンを組む訳だが、未来を担保にしただけで得た150万円もの物体を、そう簡単にフルバンクなどさせられないという自分のヘタレっぷりを知るやいなや、タイヤの真ん中だけが減っていく現実に耐えられなくなって、最後はせっかく購入したSSを手放してしまったりするようだ。

 そう考えると、元々の車両が安く、転倒しても修理代も今よりは安かった250や400のバイクで苦労した我々の世代はラッキーだったと思うが、100万円以上する600やリッターのSSが入門車となってしまう今の人達は、カツマーのバイブルを実践することも出来ないままカヤマーになるか、前述のようにすぐにあきてSSから降りてしまうか、バカにされるのがイヤだからサーキットには行かないものの、とりあえず暴力的な加速感だけはしっかり発揮して首都高などで死ぬか、現在はそんな選択肢となっているようだ。





★参考
しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール
香山リカ著

〜「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール〜

恋愛にすべてを捧げない

自慢・自己PRをしない

すぐに白黒つけない

老・病・死で落ち込まない

すぐに水に流さない

仕事に夢をもとめない

子どもにしがみつかない

お金にしがみつかない

生まれた意味を問わない

“勝間和代”を目指さない




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