Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


お金の本質
2009年5月28日 11:50

 突然だが、皆さんは“お金”に対してどの程度執着心があるだろうか? 仮に執着が強いと仮定したとして、大抵の人は、面白いことに実際以上にお金が大切と考えているが、実際以上にお金を稼ぐのは難しいとも考えている。

 また、昨年から民主社会主義者にコロッと鞍替えし、格差社会をぼやくようになった私は、それ以前は、筋金入りの拝金主義者だったのでよく分かるのだが、格差を無くそうと懸命に努力しても、なぜかお金は平等を嫌うという性質を持っている。

 そして、身もふたもなくそのメカニズムをタネ明かしすると、累進課税によって所得を再分配しない限りは、所得の分布は偏る傾向があり、更に、累進課税を強化しても、資産の格差は広がってしまう。なぜならば、資産の多くは投資によって生み出され、投資には福利のマジックが働くからだ。

 つまり、金持ちになるのなら、汗水流して働くよりも、投資をした方がはるかに手っ取り早い。しかし、投資をするには、ある程度元手が必要であり、元手を作るには、普通、収入よりも支出を減らした期間がある程度必要である。中には、玉の輿に乗るとか、元手を作るのにてっとり早い方法もあるが、玉の輿はなかなか計画通りいかなさそうだし、元手を作る為に犯罪に手を出すのはあまり感心しない。

 という訳で、結局またスタートラインに戻ってきてしまったが、先日、“貨幣の限界効用の逓減”について書いたことをキッカケにして、これまでの人生で、私のことや、私だけでなく多くの人間を悩ませ続けてきた“お金”について考えてみたので、今回は“お金の本質”について以下に考察してみるとしよう。

 えっ? 何々? 仰る通りマーヒーなんだよ。(笑)

★お金の利便性
 かなり大昔、まだ“お金”というものがなかった時代には、人類の経済は“ぶつぶつ交換”でまかなっていた。

 では、お金がなかった時代を想像し、その生活を現代に当てはめてみよう。

 例えば、あなたが04年式の赤いCBR1000RRを所有していたとしよう。しかし、そろそろこのマシンにはあきてきたので、今度は、同じ年式の青いGSX-R1000に乗り換えようと考えたとする。あなたは、04年式の青いGSX-R1000を所有し、なおかつ同じ年式の赤いCBR1000RRが欲しいという人をひたすら探さなくてはならない。しかし、実際に探すとなると、手放したいバイクと欲しいバイクがピッタシ一致する人に巡り合うのは、大きな労力を必要とすることだろう。

 また、なんとか運良く希望通りの人が現れたとしても、「私のGSX-R1000は2万キロ走行しているが、あなたのCBR1000RRは3万キロ走行しているので、そのまま交換では割が合わない」などと言われた日には目も当てられない。つまり、せっかく意中の人を見つけても、交換するものの価値が釣り合っていなければ、結局交渉決裂によりまたフリダシに戻るワケだ。

 このように、あらためて考えると、“ぶつぶつ交換”というのは、とてつもなく労力がかかるシステムだということがよく分かる。

 ところが、ここに貨幣経済を登場させると、あなたはとりあえず、04年式で走行距離が3万キロの赤いCBR1000RRを、例えば60万円の現金に引き換えたとする、そして次には、60万円で買える青いGSX-R1000を探す訳だが、ぶつぶつ交換の時と違い、別に赤いCBR1000RRが欲しい青いGSX-R1000の所有者ではなくていいので、ただ単に青いGSX-R1000だけを探せばいいことで、だいぶ手間がはぶける。また、青いGSX-R1000を探している際に、60万円を超えた価値のあるGSX-R1000しか見つからなかった場合には、あなたは手持ちの金で差額分を埋め合わせれば、すぐに希望のバイクを手に入れることが出来る。

 そう考えると、貨幣経済というのは、ぶつぶつ交換に比べて非常に優れたものだということがあらためてよく分かる。

 おおっ! なんと素晴らしいかな貨幣経済!

★お金を欲しがるワケ
 このように、あらためて貨幣経済について考えると、お金の利便性というものがよく分かるが、多くの人は、生まれた時から貨幣経済と付き合っているので、こんなにありがたいシステムだと言うのに、ぶつぶつ交換の苦労を知らない為に、常日頃から貨幣経済に感謝しているなどという人はほとんどいない。

 それよりも、ストレートに強欲的に、「もっとお金が欲しい」と考えている。

 例えばあなただって、誰かから、「お金が欲しいですか?」と聞かれれば、「くれるもんならくれ!」と答えることだろう。

 しかし、例えば、前述の04年式の3万キロ走った赤いCBR1000RRという、売れば60万円程度(あくまでも仮定の話です)のものと、そのままズバリの60万円を比較してみよう。

 CBR1000RRの方は、トランスポーター、つまり“便利な道具”という価値がある為、所有していれば、現実的な利用価値がある。

 ところが、現ナマの60万円は、そのままでは何の利便性も生まず、貨幣経済が成立していなければ、文字通りタダの紙切れでしかない。

 このように、お金というのは、タダ置いてあれば、紙切れだったり金属の塊だったり電磁的なパルスでしかなく、何の利便性も発揮していないというのに、多くの人は、実際に利便性のある何かの“モノ”よりも、もっと抽象的で漠然とした、“お金”が欲しいと言うことが多い。一体それはなぜだろうか?

 そう、なぜならば、お金さえ持っていれば、いつでもどこでも好きな時に好きな場所で、欲しいものや欲しいサービスに交換できるからで、すでに利便性を発揮している固定的な“モノ”であるCBR1000RRよりも、CBR1000RRに限らず、他のモノやサービスに交換が出来る可能性を秘めた、まだ利便性を発揮する前の段階の“お金”を人々は欲しがることが多く、人がお金が欲しいという時には、それは同時に、将来に何かのモノやサービスに交換できる“可能性”を欲しがっている訳で、このことを“流動性選好”と言う。

★無意識なる欲求
 しかし、である。仮にもし、“たった今”、貨幣経済が崩壊したら、文字通りあたなの持つお金は、突然無価値になってしまう。

 これは絵空事ではなく、例えば、過去の歴史を観察しても、ハイパーインフレが起きることで、突如持っていたお金が紙切れになってしまったという国は、現実に結構沢山ある。

 従って、人々が、いつでもどこでも好きな時に好きな場所でモノやサービスに交換できる“お金”を好きになり、それが欲しいと考えたとしても、その前提となる、貨幣経済を支えている社会が成り立っていなければ、お金は文字通り“絵にかいたモチ”でしかなく、CBR1000RRという現実的に利便性を発揮する“モノ”を所有していた方が、世の中が崩壊した時に強いのではないかと思われる。

 しかし、やっぱり多くの人は、まだ利便性を発揮するモノやサービスに交換される前の段階の“お金”が欲しいと常日頃から考えている。

 つまり、人がお金が欲しいという場合には、同時に、お金がお金として永遠に通用する社会の存在を希望しているのであり、「お金が欲しい」とは、実は永遠の共同体を欲していることなのだと言える。

★お金の本質
 えっ? 何々? 「俺は永遠の共同体なんて全然欲してないし、そんなことよりも、タイヤとかオイルを変えなきゃいけねーので、コマケーことはいいからとにかく金が欲しい」だって? なるほど、あなたの気持ちもよく分かるよ。

 そう、↑の私の分析は、勉強し過ぎて頭がイカれた大学生チックな意見であり、多くの人は、永遠の共同体など意識したこともなく、目先の欲求を優先してお金を欲しがっている。共同体どころか極めて利己的に。

 しかし、冒頭にて説明したように、お金というのは本来、気が遠くなる程効率が悪かったぶつぶつ交換に代わって、欲しいモノやサービスを簡単に手に入れる為の“便利な道具”として発明されたものであり、それ以上でもそれ以下でもないのだと考えれば、人は、それ程お金に執着することなく、“便利な道具”として、お金のことは、大して意識もしていないのに毎日使用している“歯ブラシ”程度に考えていれば良いのではないだろうか?

 従って、もし仮にお金に本質があるとすれば、それは、お金には本質はないということである。




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