Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


分化した右翼 2008年4月18日 10:54

 食いたい放題のデタラメな飽食グルメ文化を謳歌し、大量消費大量廃棄の権利を保障されている高級奴隷の皆さん、いかがお過ごしかね?

 さて、私はと言うと、ネット芸者を自称する、2輪業界保守論壇ホステスで、石原慎太郎を支持したことで親米右派ジャーナリストになってしまった小林ゆき氏のネバーエンディングエンド(終わりのない終わり)と言った調子のとてつもなくオメデタイ文章に触発されたおかげで、すでに開催されてしまった後だと言うのに、第2回に向けての三宅島モーターサイクルフェスタに対する反対の活動を始めてしまった。すると、私のこの「三宅島バイクレースに絶対反対!」という提言を聞いて怒りだす人達が現われた。私の説明は回りくどいが、つまりは私の提言は大成功だったと言える。なぜならば、(何度も言うようだが)怒りだす人がいるということは、私の提言は意味があるものだと言えるからだ。
 また、三宅島バイクレースを実際に推進している人達は、このイベントを成功させる為に現場で頑張っている人達の努力を無駄にしてしまうとも言える私の活動に対して、大変御立腹されている様子でもあった。もちろん私は、この努力が無駄な努力に終わることを願っている。なぜならば、1962年のスズカサーキットの建設以来、46年間にも及ぶ、ロードレースをサーキットで開催させるべきだと考えた先人達の努力に比較すれば、石原慎太郎の提灯持ちと言えるこんな努力など、子供のたわごとみたいなものだからである。

★活動における発見
 しかし、この三宅島問題に関わったことは、色々と副次的なメリットもあった。特に私が興味をひいたのは、三宅島の島民の方達との対話にて、石原慎太郎と三宅島の関係について色々と知ることが出来たことである。

 自民党はその昔、三宅島にて米軍のNLP(夜間連続離着陸訓練)を行う為に、当時自民党の議員だった石原慎太郎が三宅島に乗り込んで行ったこともあるそうなのだが、島民達は強硬に反対し、石を投げて石原慎太郎を追い返したという。石原慎太郎はこの時の恨みを引きずっているようで、島民の方が仰るには、石原慎太郎は、これをキッカケに、三宅島というと何かヒステリックに反応してしまうようになったらしい。
 また、こうした怨恨の念は、2006年2月3日、三宅村「感謝の集い」のレセプションにて、2000年に都職員を助役に選任する議案を村議会が否決したことについて、「せっかく(当時の村長に)頼まれて人を送ったら村議会のばかどもが否決した。おれは『お前ら、東京の顔をつぶしたな。そのうちひどい目に遭わせてやる。覚えていろ』と言ったんだ」という発言にもあらわれている。

 また、都議のそねはじめ氏の証言によれば、昨年の4月に三宅村の村議達が都庁に三宅島空港再開の陳情に訪れると、石原慎太郎は陳情など無視して、バイクレースが見直しになったのは共産党のせいだとわめきちらし、あげくの果てにはNLPを受け入れていれば、こんなことにはならなかったとも発言したようだ。こうした相変わらずの傍若無人ぶりを観察すると、石原慎太郎の、三宅島に対するNLP受け入れ拒否の怨恨の念は相当に深いように感じられる。

 しかし、三宅島に関することは別コンテンツに譲るとして、私自身は、石原慎太郎が米軍に肩入れしていたという証拠をつかんだことが収穫だった。そう、石原慎太郎は親米右派の政治家であり、都知事になってからも、三宅島の未だ帰島出来ない島民の帰島対策の冷たい打ち切り等ももちろんだが、他の普通の都民に対しても、フラット税制の導入など、弱者切り捨てのストレートなネオリベラリズム(新自由主義)政策を推進しており、石原慎太郎とは、単にアメリカの飼い犬でしかないことが理解できる。つまり、巨悪はやはりアメリカであり、石原慎太郎は自分の活動資金を集める為に水谷建設や東急エージェンシーなどの様々な利権を利用しているだけに過ぎず、こうした極悪な政治家が当選してしまうのも、衆愚を利用したポピュリズムが原因であり、三宅島にしても東京都にしても、果ては日本にしても、民度が低いと言ってしまえばそれまでという歯がゆい状況になっているが、冒頭で述べたように、だからと言って多くの国民は、デタラメな飽食グルメ文化は謳歌できるし、大量消費大量廃棄の権利も有しているので、これが為、我々は高級奴隷として骨抜きにされている。

 つまり簡単に言えば、我々は昭和20年にアメリカに解体され、その後支配されたという事を仮に認めたとしても、現代人はそれを恥とも不快とも考えていないのである。

★戦前右翼
 実は、バイク全否定と愛国心(2)の続きを書きたかったので、本題に入ろう。

 以前アップしたバイク全否定と愛国心(2)では、主に明治維新前後の右翼について記述したが、その後の戦前右翼の人達については触れず、時間をさかのぼって縄文時代に飛んで自然崇拝の話をしてしまった。(笑)

 では今回は、明治維新以後の、戦前右翼について語ろう。

 ところで、右翼の人達は一般的には共産主義と社会主義に対して絶対の反対をしている人達という風にカテゴライズされているが、戦前には、金持ちが思い上がっていて、貧しい人達が虐げられている現状に対して憤り、天皇制を使って社会主義を実現するという、国家社会主義の思想を掲げた人達もいたようだ。
 ちなみに、北一輝という人が、国家社会主義の先鋒だったようだが、「一応天皇が国民の代表だよ」「個人の財産は100万円までしか認めないよ」「個人の企業の資本の限度は1000万円までで、それを超えたら国が管理するよ」みたいな調子の『日本改造法案大綱』っつうのを書いていたようで、当時としては大変な革命文書という扱いだった。
 ちなみに、当時の三菱系の財閥の総資本金は30億円、住友系は19億円で、1社平均は2000〜3000万円だった。
 しかし、そんな北一輝が運動資金を財閥からもらっていたことを若い人から指摘された時には、北は「ライオンにはライオンのエサがいる」と笑って誤魔化したという逸話もあり、かなり豪快な性格だった感じもする。

 そして、昭和に入るとこの国家社会主義チックな動きが活発化していったようなのだが、昭和2年に片岡直温という政治家が、「渡辺あかじ銀行が破綻した」とうっかり失言したことがキッカケで、金融恐慌になって200万人が失業してしまう。ちなみに、渡辺あかじ銀行だと検索で1件もひっかからなかったが、どうやら東京渡辺銀行と、姉妹行のあかぢ貯蓄銀行のことのようである。あかぢ銀行って…。(笑)

 あと、右翼活動家で津久井龍雄って人がいるが、猪野健治って人が、「最近の右翼運動は日教組攻撃ばかりで、展望を見失っているんじゃないですか」と質問したのに対して、津久井は、「いやそんなことはない。日本共産党がかわりをやってくれているから」と笑ったらしい。つまり、当時の右翼とは、イデオロギーとしては社会主義を標榜していたのである。

 そして、2・26事件あたりのテロやクーデターは、財閥、既成政党、それから特権階級を“一人一殺”で殺していくというもので、ようするに皇室中心の反資本主義社会改革を実行しようとしていた訳だ。
 これは、平和主義をもって資本主義社会に反対するという私とはスタンスは違う訳だが、当時のテロの実行犯の右翼の方達は、『一殺多生』というのが行動原理だったようである。
 そして、こうした民間右翼の青年将校の平和維新の願いが2・26事件を引き起こしたが、結局、こうした人達を軍当局は徹底的に罰して、政財界に対する軍部の発言力をむしろ強化させてしまい、捨て身の青年将校の活動は、2・26事件を最後に軍閥、財閥、政治家に巧妙にすり替えられ破滅させられたようだ。

 そして、力をつけた日本の軍部は、その後、第2次世界大戦へと突入していく訳だが、社会主義的右翼の信州国民党という政党は、腐敗した財閥や亡国的な政治を行っている日本が、どんどん格差社会になっていき、(今の日本のようだ)このままでは第2次世界大戦に突入してしまうと、第2次世界大戦への突入を予測しているのが凄いと私は思った。

 そして、ホントに日本は第2次世界大戦を始めて敗戦する訳だが、そこで天皇がキャンディーズみたく「フツーの人になります」宣言をしてしまったものだから、戦前右翼と軍部の人達はガックリきてしまい、追いうちをかけてアメリカが財閥とか右翼とかを全部解体すると共に、労働、農民運動、政治活動の一切の自由を保障してしまったので、社会主義や共産運動が活発化して、戦前右翼はかなりパーペキに解体されてしまう。

 しかし、壊滅的な状態になった右翼の人達は、こうした状況をなげいて、政治家を襲って失敗して自決したりしていたみたいだが、木下半治という人は、この状況を冷厳に分析して、右翼運動の凋落は、単にGHQの弾圧によるものだけでなく、表面的にはいきがっていたが、元々の戦前右翼は、しっかりした理論や大衆組織を持っていなかったことが、これで暴露されてしまったのだと語っている。

★戦後右翼
 戦後、GHQは、軍部を解体する為に、右翼を徹底的に解体して、共産主義や社会主義が力をつけるように仕向けて、実際、こうした左翼は5年間でスゲー勢力を拡大したようだが、昭和25年がひとつのポイントとなっているみたいで、同年にGHQは、前年に中国に中華人民共和国が出来たことで、コロッと方針を転換して、昭和25年の1月にマッカーサーは日本の自衛権を主張しだして、日本の再軍備の方針を明らかにしてしまう。

 そして、5月3日には共産党を非合法化しろとか言い出したみたいで、とりあえず警察は集会やデモを禁止してしまい、マッカーサーは共産党中央委員24名全員の追放を命令したようだ。

 そして、6月25日には朝鮮戦争が勃発して、(この年はホントいそがしい)共産党への弾圧が更に熾烈化した。

 そして、翌年の昭和26年1月には、マッカーサーは日米講和条約と日本再武装の必要性を説いて、2月にはダレスという人が、集団安全保障、米軍駐留の講和方針を日本に提示し、そんでもって共産党は、2月末(超いそがしいねこの辺)には、それまでの平和革命路線を破棄して、武力革命方式に転じることを決めた。

 そしてGHQは、左翼を弾圧すると同時に、今度は右翼の人達を解放してしまい、それがキッカケで右翼関係者の人達の運動再開が活発化された。

 ちなみに、面白いことに、現在のメディアは、日本国憲法はアメリカの押し付けということをさかんに喧伝しているが、その為に、憲法改正を唱える政治家は親米ではないといった印象を国民は抱いている。しかし、実際には終戦後わずか5年で方針を180度転換した日本再武装と日米安保などが現在にまで続くアメリカの願望であり、「日米安保体制護持、占領憲法破棄」を唱えている右派の政治家は、反米ではなく、むしろ親米であることに、国民はまんまと騙されている。そして、日米安保がそもそも占領体制の延長な訳なので、こうした自己矛盾に対して多くの若い右翼達は劣等感を抱いているようだ。

 話を昭和25年当時に戻して、そうは言っても、戦後5年で急膨張した左翼勢力の前では、右翼の人達は大した存在ではなかったのも事実のようで、それが遠因となったのか、戦後右翼の人達は、あらたに右翼組織を1から作るよりかは、暴力団を右翼的に再編した方がはるかに合理的と考えた。

 また、戦前右翼の資金源は、財閥と軍部とのパイプでなんとかしていた訳だが、それに対して左翼勢力は、大衆からのカンパで成り立っていたので、戦後右翼は、財閥と軍部の解体により活動資金がなくなったことで、それをカバーする為にも暴力団の利用を考えた。そして、暴力団は地域社会に深く根をおろし、強固な団結力と独自の資金源を持っていた訳だが、この団結力と資金源の代表は、土建屋とテキヤだった。
 親米右派の政治家と右翼と暴力団と土建屋の関係が、だんだんイメージ出来てきたかい?

 こうして、戦後右翼の人達は、占領体制の元で独自のビジョンを持てないまま、親米反共路線に突っ走ってしまい、戦前の青年将校みたいな、国家社会主義系のノリとは全然違うものになった訳である。

 そして、共産党をとにかく忌み嫌い、昭和25年に方針転換したGHQの政策をそのまま具現化及び遂行しているのが石原慎太郎であり、知ってか知らずかそれを持ち上げているのが保守論壇ホステスの小林ゆき氏なのである。「公道レースが見てみたい」とか、浅はかな事言ってるライダー達は、ことの流れが分かったかな? レーシングスピードによる景色の流れよりペース早いかい?(笑)

★新右翼
 私自身のマイペースで更に突き進もう。

 戦前右翼の青年将校みたいな、国家社会主義を抱いた、日本を腐敗させる財界人とかを襲っちゃう人とかは、戦後にはいねーのかよ? と思っている方もいるかもしれないが、世の中は広いのでキチンと存在する。
 それが新右翼(自分達は民族派と言っている)で、この人達は、なんと昭和52年(1977年)に経団連を襲っている。これに対して、野坂昭如は爆笑し、いいだももという人は、「三島由紀夫のオバケが出た」と酷評したという。

 しかし、この事件を機会に、戦後右翼は反体制右翼と体制右翼に分極化していったようだ。
 で、この反体制右翼(民族派)は、天皇と憲法問題を除くと、左翼との対立点は全くない。そして、世の中は信じられないような色々な出来事が起きるが、なんと、昭和50年の茨城県の知事選では、新右翼と左翼が協力して候補者を立てて善戦したこともあるようだ。

 話を戻すと、私が知らなかっただけで、新右翼(民族派)の人達は、この後も結構色々と直接行動を起こしてたみたいで、政治家や企業系をちゃんと(笑)襲っていた。

 こうした新右翼(民族派)の方の直接行動を観察していると、青年将校のファッションを真似るだけの、単にコスプレマニアと言える現在の体制派の右翼の方は、ファッションよりも戦前右翼のイデオロギーのことをもっと深く勉強して、反体制に傾倒して頂きたいと切に思う。

 否、殺生禁断の精神を持ってプログレ系(プログレッシヴ系)に鞍替えして頂きたいと思う。(笑)

★おわりに
 「ヤクザは指をつめるが、右翼はハラを切る」という言葉通り、青年将校や新右翼(民族派)は、“一人一殺”“一殺多生”のロジックにて、腐敗しきった政治家や財界人を襲撃し、失敗した場合にはいさぎよく自決する。

 バイク乗りの中でも、命をかけて首都高などに上がってきて、感情的に“ムカくつ”という論理だけでライバルにバトルを挑み、本当に自爆して死んでしまうライダーも、実際にアンダーグラウンドの世界にて存在する。

 こうした人達は、法律を全て無視して自分の感情のおもむくままに行動する、スーパーアウトロー(超法規的人物)である。

 公の場ではあまり書きたくない話だが、私は、スーパーアウトローの方達に対して、そこまでの気合いが入っていると、ある種のシンパシーを感じてしまい、むしろ、対米従属の小泉純一郎や石原慎太郎のような中途半端な親米右派の政治家や、「“おかみ”のお墨付きがあるのなら、公道レースもいいんじゃね?」といったふぬけたライダーのことは忌み嫌ってしまう。そう、こいつらは一言で言えば大衆迎合型のただの“軟派”だ。

 しかし、硬派なライダーを愛し、本来暴力的な性格の持ち主である私が、なぜ非暴力主義に傾倒し、自身は非武装中立論者、及び絶対平和主義者を標榜しているのかと言えば、私自身が、こうした暴力を使った直接行動を自分自身が起こさないよう、自らを律しているからである。

 暴力は原始的であり、文明的とは言えない。また、原始的に考えたとしても、自分自身の身体を粗末にすることは、天に対する冒涜だとも考えている。

 新右翼(民族派)の方達に対しては、平和ボケした日本人に民族精神を押し付けてみても、それは現在では悲しいかな“的外れ”になっており、すでに“国家”という単位で人々を結びつける前時代的な呪縛は成り立たなくっていることを冷厳に見つめ、この日本に発生した格差による弱者切り捨てを憂いてしまうのなら、直接行動ではなく、ネオリベラリズム(新自由主義)こそラジカル(根源的)な悪だと、平和的に大衆の覚醒を働きかけて頂きたいと願う。

 また、バイク乗りに対しては、バイクをフルバンクさせて全速全開で走らせ、ライバルとのバトルを行いたいのであれば、サーキットにやってくるか、バイクを降りるかの、二者択一しかないと忠告したいと思う。そして、しつこいようだが、中途半端な公道レースへの支持などは、正に愚の骨頂である。

 えっ? 何々? バイクのイベントで三宅島の復興支援ができるだって? 笑わせるなよ、バイク1台走らせるに当たってどんだけの血税が使われてると思ってんだ、直接現金寄付しろボケ。


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 未だ帰島出来ない人への支援を冷たく打ち切った、東急エージェンシーなどの利権にまみれた石原慎太郎は信用出来ない! イベントに参加したり賛同するよりも、約80名のボランティアが活動し、三宅新報を発行して島民の全所帯に配布したり、未だ帰島出来ない小学生の80%、中学生の70%、高校生の50%等を含んだ約1000人の方達の訪問活動などを行っている↑の団体にストレートに寄付しよう!


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