Erv's Letters index Text by Erv Yamaguchi


B-KING 2005年7月19日 16:17

 最初に断っておくと、私はメーカーに対して、性能を無視しろなどと言うつもりはない。もちろん、性能など無視しても全く問題ないのだが。(笑)
 さて、昨日の日記を書いた後、金持ちの人にも貧乏な人にも等しく与えられた24時間という1日の時間の中で、私が最も愛している“ひきこもりタイム”にて、私は色々と夢想してみた。
 まず、オートバイに関わる多くの人達は、ほとんど常にオートバイの性能に対して関心を寄せている。そして、そのニーズ(需要)に応えるべく、プロのライター達も、オートバイの性能について、いつまでもクドクドと話を続ける。
 もちろん、そういう私自身も、若い頃はオートバイの性能のことで頭が一杯だった。
 しかし、自分の人生に転機が訪れたのは、恐らく株式投資を始めた時なのだろう。私はオートバイの性能よりも、オートバイの“セールス”に興味を持つようになった。しかし、プロのライター達の中には、新しい私の知的好奇心を満たす文章を書く者はいなかった。
 仕方がないので、私は独自にモノを考えるようになった。すると私の目前には、全く新しい別の世界が広がった。
 つまり、オートバイの性能と、セールスの結果は一致しないという世界である。そして私は、セールスと一致する法則を探求する旅に出かけることが好きになった。余談だが、幸いなことに、この旅は“インドア”で行うことができた。

 しかし、恐らく私が語ることの内容は、メーカーの中で、「良いモノを作れば、売上は後からついてくる」と考えている人間に対しては、あまりにもツライ提言だと思う。
 しかし、メーカーの人間は、私の言うことに落胆してもらいたくはない。最初に断ったように、性能を無視しろと言っている訳ではないのだ。私が言いたいのは、性能だけを祭壇に捧げるなということである。

 では、それを証明する為に、メーカーにとって不愉快な事実について語ろう。それは、昨日にも紹介した、ネーミングで大失敗したカワサキのZ1000である。
 私はカワサキのZ1000の持つ、その性能に対して何も文句はない。いやむしろ、性能的には素晴らしいオートバイであると思う。正にエクセレントだ。しかし、Z1000はマーケットという名の祭壇に対して、性能は捧げたが、ネーミングは捧げなかった為に、エクセレントではあったが、パーフェクトではなかった。性能が良いだけに、非常に残念である。

 では次に、楽観的な話をしてみよう。私が期待するのは、スズキのB-KINGである。こちらはアルファベットの羅列ではなく、口語的に発音しやすいことが、Z1000よりも好感が持てる。では、せっかくネーミングが良いので、もっと他車を引き離す戦略について考えてみよう。
 それは、昨日も私が訴えたように、全く新しいカテゴリーを確立してしまうことである。私からの提案は、初期のプロトタイプに装着されていた、スーパーチャージャーを装着することである。しかし、スズキはなぜB-KINGの2度目のお披露目の際には、このスーパーチャージャーを外してしまったのだろうか? 恐らく、コストを下げて、価格も下げなければ売れないと思ったのだろう。つまり、“負けない試合”を望んだ訳だ。まるで子羊のようにケツの穴の小さい戦略である。過去を振り返ってみよう。ホンダのX-11は、ブラックバードのエンジンを使ってネイキッドのオートバイを作ってみた。面白くなかった。結果、大失敗した。
 Z1000も、ZX-9Rのエンジンを使ってネイキッド車を作ってみた。結果、何か特別なオートバイという気がしなかった。そして、X-11と同じで、アルファベットと数字の羅列だったネーミングにより、消費者に所有する満足感は与えなかった。
 B-KINGがもし、ハヤブサやGSX-R1000のエンジンのデチューン版を搭載すれば、X-11やZ1000と同じ運命をたどる可能性が高い。しかし、過給器は別である。現在市販されているスポーツバイクで、過給器をつけているスポーツバイクはあるだろうか? ない。スーパーチャージャーを装着したオートバイに乗る者は、ハヤブサやGSX-R1000や、もちろん他社のオートバイに乗る者に対して、何にも代えがたい優越感を得ることができる。
 これこそがアイディンティティーであり、マーケットにおける優位性であり、セールスに直結する“性能”である。
 しかし、オートバイに関わる人達は、なぜかオートバイと過給器との親和性に対して懐疑的である。特にメーカーの人間は、過給器に対して保守的であり、メーカーに過給器付きのオートバイを求めることは、改宗を迫るくらい高いハードルなのかもしれない。

 理由を考えてみよう。それはレースの世界である。レースの世界では、過給器を認めているレギュレーションを採用しているのは、ROMCだけである。しかし、ROMCは、主催者の運営手腕の至らなさにより、現在では開催されていない。
 従って、少なくともライセンスを必要とするレースにおいては、ほとんど全てのレースで過給器は禁止されている。
 私はそれらのレースの主催者ではないので、理由は不明だが、レースからのフィールドバックが特徴のロードスポーツ車が、自然吸気になってしまうのは、こうした背景が色濃いだろう。

 この常識をブチ壊すのである。そう、過給器をつけて、200馬力オーバーのオートバイを作れば、全てのオートバイ乗りは、「掟やぶりだ」とつぶやくことだろう。「掟やぶり」。最高のフレーズである。
 スズキは、スーパーチャージャー付きのB-KINGを発売し、「掟やぶり」を連呼すべきである。そして、『スーパーチャージドビッグネイキッド』という新しいカテゴリーを提案すべきである。
 掟やぶり、掟やぶり、掟やぶり、ひたすら言い続けることである。そしてスズキは、全てのスズキの販売店に対して、次の指令を出すべきである。「セールストークは、“掟やぶり”の一言だけだ」
 スズキの販売店の店員は、B-KINGに対して質問した訪問客に対して、「掟やぶりですから」と言ったあと、かすかに笑みを浮かべて、片方の口の端をわずかに上方に吊り上げるべきである。これで決まりだ。
 そして、実際にB-KINGを購入したライダーは、休日の箱根に向う途中のパーキングエリアや、ナップスの駐車場にて、愛車に興味を示した人に対して、「掟やぶりですから」と言ったあと、かすかに笑みを浮かべて、片方の口の端をわずかに上方に吊り上げるべきである。これであなたは、バカな王様の仲間入りだ。つまりB-KINGである。

 スズキがZ1000の失敗をあざ笑い、ハヤブサに次ぐ第2の成功を勝ち取るには、スーパーチャージャーの採用こそが決め手だと私は考える。スーパースポーツ車を裸にしたような、文字通りのネイキッド車では、消費者の関心はもう集められない。ネーミングの良さだけでも押しが弱い。なぜならば、ビッグネイキッドは、すでにコモディティ(ありきたりな)商品なのである。従って、ビッグネイキッドに必要なのは、このところ不足気味な、掟やぶりなメーカーの“勇気”である。

 「あなたはスーパーチャージャー付きのオートバイが欲しいですか?」
 こうしたマーケットリサーチはナンセンスである。
 リサーチは、メーカーが自らの無知を隠し、最近の過去と近い将来を混同させることにしか貢献しない。しかし、メーカーが期待しなければならないものは、本当は最近の過去との決別のハズである。
 また、“リサーチ自体が”意味がないという証拠は色々とある。リサーチされる人間は、リサーチによって無意識の世界の行動とは別に、意識した別の判断をしてしまうのである。これは、リサーチ自体が本来の結果を変えてしまうという根本的な問題に由来している。物理学的に言えば、ハイゼンベルクの不確定性原理と呼ばれるものだが、リサーチにおいては、リサーチという行為によって、調査される人が態度を変えてしまうことを意味し、学者はこれを、“参加型現象”と呼んでいる。例えば、テレビの視聴率調査を行っている家庭は、通常よりもニュースなどの教養番組を観る確率が高くなるといったことが分っている。つまり、リサーチは真実を浮び上げるというよりかは、むしろ偏見をさらけ出すことが多いのである。
 別の話もしよう。例えば、あなたがこの世で初めてパーソナル・コンピューターを発明したとしよう。それに対して肯定的な意見を寄せる人は、ごくごく少数だろう。いつの時代においても、革新的なアイデアや商品は、初期の段階でほとんど全員から否定されるのである。従って、リサーチの結果の「No」には、あまり意味がないと言える。つまり、スーパーチャージャー付きのスポーツバイクについてリサーチすればするほど、発売を決定する確率は低下するだろう。しかし、まるで人生の皮肉を表すかのように、アイデアが革新的なほど、成功率が高まるというのがビジネスにおける不思議なパラドックスである。能書きはこれくらいにして、もう1度言おう、B-KINGには、スーパーチャージャーを装着すべきである。

 しかし、決めるのはメーカーの仕事である。私の仕事ではない。幸運を祈る。




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